okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

今40歳。10年歳を重ねて50歳。胸張って新橋にいよう

2度目のチャレンジ。3店舗を改めて経営していくということ。

3年くらい前まで、新橋にOKEIは3店舗存在していた。
その後、改装し、2階と3階をつなげて、2店舗へと変わった。

当時、3店舗を経営するという意識がそこまでなかったように思う。
流れでどんどんお店が増えていく感じだった。

それは悪い事ではなかったと思う。
今となればやはり1階でお店をやるということが、
あまりにも飲食店としてはお客様への認知度が変わっていく様も明らかに違う。

会社としては成功したトライだ。

ただし、僕の能力と経験不足があった。
人が急に8人から14人くらいになり、コントロールができなくなっていた。

2年くらいでそれは露骨に人間関係を壊していったように思う。

僕はサッカー部の監督もしていたこともあった。
11人のレギュラーとそれ以外のサブ。

レギュラー組くらいしかしきれなかったのかもしれない。

そして悩み、2店舗に改装した。
800万円をかけて、10席以上席を減らした。

お金をかけて売り上げを下げる工事をしたのだ。

結果、売上は上がった。

経営者としての判断というものではなかったが、結果はついてきた。

決断や判断が経営者の仕事の大半だ。
そして、その決断を担うスタッフが躍動してくれる空気や環境を
整えておくのも重要な仕事。

僕はそれを怠っていたように思う。

今、3店舗になり、ちょっと予定と違う配置になり
困惑はしているものの、以前と違うのは、スタッフが団結しようとしてくれていること。
もちろん、何となく、そうできないときもあるとおもう。
誰かが犠牲にならなきゃいけないから。
やりたくない仕事、考えたくない仕事をしなくてはいけないから。

それをこれからどうやってしていくのか。

対話して、このOKEIというお店が、いかにして本当にみんなの会社になるか。
今にかかっているだろうな。

そう思う。

真後ろに進んじゃう時もあきらめず、たゆまず、
前に進む意気込みを忘れないでいたい。