okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

18年経ちました

本日12/9 で僕は独立して18年が経ちました。

沢山のお客様と友人、家族、そしてスタッフのお陰です。

こんな言葉では言い尽くせません。

18年、ずっと全身全霊、全てを注いだのか。

そう聞かれたら、自信がありません。

人も傷つけ、傷つけられ、普通のもうすぐ48歳な気もします。

出会い、別れ、また新しい出会いの繰り返し。

それに疲れすぎ、イマイチな自分な時もありましたかな。

そんな平凡です甘えん坊な僕に今があるのは、マジでみなさまのお陰だ!という確信だけはあります。

いつもこの日、家を出る時、色んな気持ちでグッと来て涙腺やばいです。

泣いてるおじさん、やばいでしょ、朝から。

でも、バァーッて色んな人が頭に出て来ますから。死んじゃった人も。

生きている自分がまだまだ夢を持てる幸せは計り知れません。それこそ、幸せの極みですよね。

チャレンジできる自分があることが。

10周年の時に書いた本の最初にはこう書かれてました。

【料理が出来なくてよかった。1人じゃ何も出来なくてよかった】と。

誰かに助けてもらわないと生きていけないし、夢も描けないから、今があります。

本気の感謝をずっとしていける自分にしてくれたから。口だけじゃダメだから。

そんな積み重ねた全てが今に繋がってます。

不慣れな未経験の29歳の店が、沢山のスタッフが支えてくれる店になりました。

元お客様が増え、友人になり、一緒に仕事をしたりします。

人生豊かになり、老後が楽しみ笑

毎年作るスタッフユニフォームも更新しました。いつものように背中には今まで働いたスタッフ全ての名前と独立店名を背負います。

表は今はなき1号店ロゴとメッセージ。

今年はボブディランの【foreveryoung】を入れました。

ディランが息子に送った曲。

息子の成長を願う親の気持ち。

人に感謝して、新しいことに立ち向かい、人として成長し続けてほしい。

仕事や夢。沢山やりたいことにチャレンジしてほしい、そんな感じかな。

歌詞和訳抜粋はこんなです。

 

君の願いがすべて、叶えられますように
いつも人の力になって
人からも力を貸してもらえますように

正しい人に育ちますように
誠意ある人に育ちますように
いつも真実を見つけ
君を囲んでくれる光に、気づきますように

いつも勇敢で
まっすぐ立ち、強くいられますように
いつまでも若くいられますように
君の手にはいつも、取り組むべきものがありますように
君の足がいつも、行くべき場所へ素早く向かえますように
風向きが急に変わっても
強い拠り所を持っていられますように

 

年齢ではない若さを持ち続けたいです。

僕からスタッフへ、そして自己啓発ソング。

詳しくは色んなサイトありますが、コチラを。

https://lyriclist.mrshll129.com/bobdylan-forever-young/

 

本日1人でパーティやってみます。

一生でこれが最後の1人開催かな笑

 

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夢は叶うって本当みたい

11月が決算月のオケイ。

この月が終わり、決算報告会をやると、1年が終わった気持ちになる。

コロナでなんかずっと終わらない月日を過ごしていたのだが、決算報告会がみんなで出来て、少し整理できました。

このブログもほとんど書けなかったなー。2023年。でも活動的でも書けない時もあるんですね。やはり。だからまいっか。

ただ、綴ることをやめてしまうと、伝えられることが減っていくというか、越えられないものがあるなーって感じた1年でした。このブログもなんだかんだ18年になるわけで。ここに書くことは真実ばかりで、僕のメディアといってもいいのです。

だからやはりこうしてお店も会社も大きくなっていく中では1つ、こうした場を大事にしていく必要はあるなーって感じました。なのでしっかりこちらのブログを僕の日記として再稼働していく決意表明しておきます。

さて、10月に HOME - 焚キ火ノ音 -TAKIBI MUSIC FESTIVAL- (takibi-oto.jp)

焚火フェスに協賛させてもらい、運営と出店をしてきました。

夏フェスに社員旅行で行くほど大切にしている屋外イベント。

今回はそれを協賛という形で新しいかかわり方をしてみたという感じ。

アーティストブースでの食事提供もしかり、刺激満々の日々でした。おかげで終わってから少しいろんなアイディアがあったのに、放心状態で手がつかなかったな。

やり切った感というかね。

あの場所には何度か行ったことがありました。お客さんとして。

昨年、初めてアーティストブースと運営手伝いで入らせてもらってお付き合いがスタート。実はそこまで2年かかりました。お問い合わせセンターから「関わらせてほしい」と連絡したのが2年前。そこから社長さんと会う機会を頂いて話をして。。。

そして今年は協賛!ってことで、少しいろんな視点を持つことが出来ました。

僕の今年の大きな目的は社員全員で行くということでした。

多店舗になり、営業日も違う。やはりいろんなことがまとまっていくのはとても難しいのです。

コロナで店舗がバラバラになっていく中で、スタッフには話していました。

「まずは各店舗で結果を出そう」「でも必ずセパレイトしていく。それを後で調整しよう」

新しいチャレンジをすれば必ず、何かあります。そしてチームが解体していき、まとまり始めるには時間がかかる。まとまることだけを求めるとチャレンジが出来ない。

いったん、会社を無視して各店舗で行こう!って数年だったわけです。

そしてそれをくみ取る時期に来たと判断した。

それが2023年。その取り組みの一つがこの焚火フェスへの全員参加。

前回は1店舗が担当してました。それを全員で行うことで空間を肌で味わい、

何か共通意識を持ってるという「きっかけ」作りです。

ふたを開けてみたら、よかったなって。初めて会うスタッフが肩を寄せ合う。

仲間として認識してくれたことが嬉しかったです。

簡単ではないことですが、頭で考えすぎると行動できないでしょ?

こうした取り組みはやはり僕が無鉄砲でやらないと。

感じたすべてが正義ではないとは思いますが、感じないよりははるかに美しい光景だったはずです。

もう一つ。ビール屋さんとして協賛をしたわけですね。オケイブルワリーとして。

サングラスをロゴに使っている世界でも唯一のブランドです笑

フェスでガンガン配りまくり、フェスの一体感を出したい!そう思っていました。

まだまだ大きくないフェス。そして音楽だけじゃなくて、焚火アウトドアイベントとしてのニュアンスも大きい。

それはいい部分もあるのですが、音楽を聴くよりも焚火優先の人もいるし、目的がはっきりしてないというデメリットがあるんです、僕の個人の見解です。

だから何か同じものでまとめたらどうかと。

夏フェスやライブに行くとグッズを買いたくなるじゃないですか。でもそれはそこに行くことがかっこいい!とか自慢できる!みたいなマンモスフェスやビックアーティストだからなんですよね。売れるのは。

だから「あげちゃう」ものがワクワクするものならいいんじゃないかと。

それがサングラスでした。

そんなフェス、今までなかったと思います。

その景色がいまだ忘れられません。全員がサングラスをしてるんです。

焚火している人、受付しているスタッフ、沢山の出展者たち。

そしてアーティストがこぞってステージでかけてくれました。バックヤードでビールを飲んでくれて、「オケイブルワリー!」なんて叫んでくれて。

これを書いているだけで泣けます。

最後にPushimが大トリだったんです。世代ということもあり、かなり前方で聞かせてもらいました。そのプシンがですね、アンコールでサングラスをかけてくれたんですよ。

なんかジーンと来ちゃって、号泣。

なんか考えてくれたんだなって、最後はサングラスかけて歌おうって。

ポケットから出して歌ってたから。隠して最後にかけようって。

これが夢だったよなーって。

サングラスが夢じゃなかったけど、あの空間を作ることが夢だった。

自分の店で最大800人で作ってきたフェスやパーティ。

そこで沢山夢をかなえてきた。一体感ある場所を作ってきた。

コロナやいろんなことで変わってきた僕だけど、あの場所でもできた。

温かい心が通う、最高すぎる空間になっていた。

出会いもあり、なんか友達になっている出展者やコーラスの方もいる。

僕の生き方が48歳の今でもほそぼそ灯っているなって。

生きるって大変なこともあるから辛いけど、

ご褒美もあるよね。

 

ピッツェリアテルツォオケイの改装理由とフェス協賛

2か月ぶりに書く、何を書いていいやら笑

多すぎて何から書けばわかんないから、思いのままに書きますね。

①フェスへの協賛

何といっても10月28日、29日に開催される音楽フェス「焚キ火ノ音フェスティバル」にオケイブルワリーとして協賛しているということですね。

出店もしていますが「協賛」っていうのがなんとも夢の1歩が叶ってますから。

是非皆さん以下サイトからチケットゲットしてください。

okeiのお客様限定チケット販売サイトです。

https://peatix.com/event/3663723

パスワードは takibi_okei です。

音楽フェスが大好きでこの25年は毎年行きまくってきた。

そのフェスのスポンサーになれるということが特別なことです。

好きなことならなんでも前に進められるんだなって改めて思えた。

スタッフとあの場に行ってみて課題もあるだろうし、失敗だってあるだろう。

初めての試みなんだからしょうがない。でもまずはそのステージに行ってみないとわからない景色があるのでね。

お店を出したいのと、出すのと、続けるのでは3つとも全く違います。

それと一緒。そういう意味で大きな1歩を48歳でトライできるのがいい感じ。

フレッシュな新人の気分だったり。

正直、スタッフとしては何でやるんだろう―って思ってたりするかもしれない。

そんな彼らがなんかワクワクしたとしたらうれしい。それを考える自分はワクワクする。

正直、僕としてはもっともっと激しく準備してやりたかったんだけど今年はまずスタート。次につなげていくことで考えています。

でも20周年には必ず2000人フェスを開催しますから!

その歴史をしっかり見届けるためにも僕の夢物語を見に来てくださいね。

②ピッツェリアテルツォオケイの改装

9月に新橋ピッツェリアの改装を行いました。

10日間休みと取り、店舗の修繕という形で割と大掛かりな改装になりました。

この改装をした背景を書いておこうかなと思います。

まずはピッツァ窯内部の石材が割れて、ピッツァを焼く場所が減ってしまっていたのを直したかったんですね。イタリアから石を輸入し、全部張り替えるってことでどうしても5日間はかかるということでした。

そこで、同時に煙突も修繕することにしたんですね。

その頃に以前書いたスタッフへ休暇取得のことを思っていたので、いっそのことそこである程度のスタッフを休んでもらい、ほかにも修繕しちゃおうって思いました。

フロアの床をコンクリートにしたり、カウンターの一部を補修したり、ビールサーバー変えたり、結局色々変えましたね。

事業再構築補助金が今期入っていたので、今期の利益が余分に出てしまうこともあり、今期にできることはしっかりとやり、来期以降への準備にしたいなって。

ビバがシェフ育児休業のため休んだり、イレギュラー営業したり、これからブルワリーも休業期間あります。店を休むって本当に勇気がいるんですが、そこを越えないと先がないかなって。正直、お店をやり始める時にこんなこと考えるなんて思ってなかった。でも、目の前で頑張ってくれる皆を見ているとかっこ悪い会社は嫌だなとか、給与をどれだけあげられるんだろうって考える。

結局、数年ともにするなら、お金のことであまり不安にさせたくないなって。

 

偽善者みたいですが、まー本当にそう思ってしまう回路なんですね。

偽善者も死ぬまで偽善者なら善者ですから、そうやって生きていきますわ。

 

強制的長期休暇導入と旅行費サポート

ブログ更新しました。
https://pizzeria-okei.hatenablog.com/
色々書きたいことがあるんですが、少しずつこうしてお伝えしたいことを綴っていきます。

今日書くのは「強制的長期休暇導入と旅行費サポート」、その背景にあるこの半年くらい「猛烈に感じている人員不足」についてです。
これを書く理由は同業の経営者たちの苦悩も痛いほどわかっているし、実際に相談してきてくれる方たちもいるからです。

その前に昨日大発表したフェス協賛する企業になったことを再度書いときます。
●10/28.29(土日)に行われる焚キ火ノ音 -TAKIBI MUSIC FESTIVAL(東京・若洲公園)を協賛として
運営側に入ることになりました。HPにもすでにOKEI BREWERY のロゴが掲示されています。
この投稿を見た方は全員来てください笑
オケイ全店舗のお客様とこの場所で乾杯したいのです!!!

詳しくは昨日のブログをチェックしてください。
https://pizzeria-okei.hatenablog.com/entry/2023/08/04/135020

当日は、アーティストエリアの食事提供、焚火レンタル業務、オリジナルビール提供などを担当。
フェスって大きな企業が沢山協賛してますが、「フェス協賛」している友達いないよね笑
全店舗のお客様にもこのフェスに沢山来てもらって焚火したり、乾杯しましょうよ!
フェスのどっかに「OKEI BREWERY」ってロゴあったりするからみんなで写真撮ったり。
https://takibi-oto.jp/
チケットに関しては、もうすぐOKEI専用チケット販売サイトができますので、
そこからゲットしてください。
だからまだ待っていてください。
※その他で買ってしまうとOKEI関係での集客数が不明になってしまうので。

●猛烈に感じる人員不足と強制的長期休暇導入と旅行費サポートについて

皆さん理解しているように飲食は人不足です。
ただ、飲食にかかわらずどの職業も人不足だといいます。
ではみんなどこに行ったんでしょうか。
業種が多数にわたってきて分散、働き方も変わり、東京からの分散。
そして単純に「高齢化社会」という言葉がずっと言われてきましたよね。
いつからだろう?なんか学生時代だったような。
じわじわと我々の生活にもかかわってきたのかなと思います。
実際、面接には片寄以上の年齢が多く、30代くらいの方はビール醸造への応募が多いです。
今期150万程度は求人に使いました、今までで一番投資金額が多いです。
が、思うような感じではありません。
お店を作っても働く人がいないから閉店、なんて話も聞きます。
ネガティブな話のようですが、今okeiには沢山の仲間がいます。
社員だけではなく、バイトも含めて、みんなそれぞれ個性があり、いいお店作りを目指してくれています。
その中で今までやってきたこと、やれてきたことが「普通」ではなくなっています。
情報過多の時代。いくら飲食が好きという人でも隣の芝は青い。
「生き方」「働き方」が「何でもあり」という空気感があるので、何となく「新しいやり方」「違う生き方」が
美化されたりします。
今始まったこと、トライ&エラーがこれからされていくことでも、オアシスのように違う世界に飛び込む人もいます。
それがいい悪いということではなく、事実として明らかにある風土だと思います。
その中で今自分ができること。
今までのOKEIでは出来てなかったけど、可能性がある変化と投資、見えない未来を見てみようと思います。
大きな考え方としては、まずは今のスタッフがより満足のいく環境づくりをしてみたい。
その一つがお休みについてです。
月7回という休みはある程度全店クリアしてくれているようで感謝しています。
シフトで回したり、無理なら思い切って休んだり。年間でトラブルが何もないなんてありません。
それでもしっかり休みをクリアしてくれていることにはスタッフへの感謝しかありません。
シフトや店の休業もすべてスタッフ主導で考えてもらうことが多いです。

コロナで海外や国内での研修というものがなかなか前に進みません。
コロナの前はコンスタントに行けるように積み重ねてきていました。
イタリアやフランス。帰ってきたときのスタッフがキラキラして嬉しそうだったのを
すごく覚えています。
コロナを抜けてもなかなか前に進まない理由は片寄が「みんな」でいきたいと思っていたから。
そこを払しょくしてみようと思っています。

僕自身も痛感していることとしてあるのが、息切れです。
多くのアイディアと勇気と忍耐でこの数年新しいこと、エリアへチャレンジしてきました。
アウトプットをしまくり、吐き出してきた日々とっても過言ではありません。
通常その中でもできるインプットが全くない状態で絞り出してきたような気がしています。
それが息切れです。
同時にスタッフも同じかなと。とにかくやみくもに働いてきた。
時間を費やしてきた。そんなイメージでいます。
もちろんそういう時間も大切だと思います。僕なんかは20年近く飲食でそういう時間を過ごしている気がしますし。
でも今のこの世の中でいろんな働き方が見え隠れしてしまう「移り気な世界」の中で働くしかないスタッフ。
その中にはどうしても今の環境を受け入れていけなくなっていく人もいるし、増えると思います。
なので、新しいチャレンジとして強制的に必ず長期期間休んでもらうことにしました。


・まず今期中(11月末まで)に、全員長期休暇連続7日間を取ること。
シフトで回す、縮小営業、休業。
スタッフ同士で一緒に行きたい!という人もいるかもしれない。それもOK。
そして、僕の希望としては国内外への旅行をしてもらいたい。
急だから海外は難しいかもしれないが国内ならいけるだろう。
自分へのインプットをしてほしい。心も豊かになるし、日常と違う経験をしてもらいたい。
そこをサポートするお金として旅行日数×15,000円を補助。
みんながどこに行って何を感じたのか、それを僕だけではなくお客様やスタッフにも伝えるのを義務にします。
少し前に社内で発表しましたが、すでに海外旅行を計画したりと精力的に考えてくれています。
また、男性の育休についても1か月取得させてみます。具体的にはViva!okeiのシェフ岩瀬が8月中旬から1か月休み。
それにより、店を2週間ほど休業する予定。

・7日間休暇終了後、皆さんからのヒヤリング
どうしても飲食だけではないけど、長期休暇を取りづらい。そこを強制にすることで可能にした。
「売上を上げたい」「営業しないと給与アップが減る」など考えることはわかりますし、ありがたい。
ただ1人ではお店や会社はできない。心を豊かにする努力をしていってもらいたいなと。
正直、こうした休暇を取り、店舗を休んだりすることで売上が下がり、決算賞与が少なくなるとか考えます。
でも、先に書いたようにこれから人員を絞りながら豊かに過ごすためのスタイル構築をスタートしたいのです。
来期までこの考えを貫き、またヒヤリングしていきます。

・来期は2023年12月から2024年11月までに10日間長期休暇を取ること。
反省部分を改良し実施。同じようにインプット旅行をバックアップします。
気持ちとしてはみんなが海外に行くことです。
正直、15,000では足りないかもしれないですね。そこはこれから考えます。
少しお金の話をすると、例えば一人30万かかるとします。
15名いたら、450万円。店舗で売上アップを考えるのも一つだし、アルバイトを見直す。
もしくは、人が減ったまま、うまく回せないのか、などなど。
少しでも経費を減らす努力は効果がありそうですね。
片寄のこのプランに対してみんなが協力的になってくれると先は明るいるかもしれない。

・来期の収支
来期の収支を見て、この計画が成功か失敗か、改善できるかどうか。
それらを判断していくしかないです。
ただ、売上がなくなってしまうだろうから、怖くてやらないって判断はせず、まずは来期、ガツンとやって、
みんなの表情や仕事への気持ちを聞いたりして、意味があるものと判断したいなーって本気で思います。

これが何らかの成果を上げてみんなで集まるときには
みんなが行った時の話をそれぞれがして。みんなが違う経験をシェアしていく。
にやにやする感じが見えるのです。

こうしてこれが何のためになるかどうかって考えないでまず、今やっておきたいことをやってみる。
みんなのやる気がみなぎって、いい空気の会社になるかもしれないし、ただの大赤字にあるかもしれない。
それは来期やってみたらわかるだろう。

 

焚キ火ノ音 -TAKIBI MUSIC FESTIVAL の協賛になったこと

今日から何日かに分けていくつかの報告をこちらでしていきます。
まず今日はついに夏フェスの協賛企業になるという話と、
ぜひそのフェスに行きましょう!!という話です。

先に伝えますと
10/28.29(土日)に行われる焚キ火ノ音 -TAKIBI MUSIC FESTIVAL(東京・若洲公園)を協賛として運営側に入ることになりました。

HPにもすでにOKEI BREWERY のロゴが掲示されています。

当日は全社員でこのフェス運営を一緒に行います。
アーティストエリアの食事提供、焚火レンタル業務、オリジナルビール提供など。
オケイのお客様にぜひたくさん来てもらい一緒に盛り上げたいと思っています。
https://takibi-oto.jp/
チケットに関しては、もうすぐOKEI専用チケット販売サイトができますので、
そこからゲットしてください。
だからまだ待っていてください。
※その他で買ってしまうとOKEI関係での集客数が不明になってしまうので。
※緩めに皆さんと飲んだり乾杯したりしたい!

片寄といえばフェス。そういわれるぐらい25年以上フェスに毎年行ってきました。
独立前からですね。
独立してからもスタッフや仲間たちと一緒に必ず音楽という空間に身を投じてきた。
もちろん音楽を聴くということもあるのですがあの空間が好きなんです。
出店はしてきませんでした。遊びたいからかな笑

20周年を前に心の準備をしていく中で10周年で開催したフェスを思い出しました。
800人くらいの方が来場し、ライブも出店もあり、それはそれは個人でやるには大きすぎるフェスでした。
仲間と共に過ごす時間、お客様との思い出の共有。
いろんな意味がそこにはありました。
20周年でフェスをやりたいなーと。
そこで、まずは飲食店として関わるのではなく、運営として関わっていこうと思ったのです。

この2年ほど、この話を運営サイドやスポンサーの皆様と話し合ってきました。
少しずつ前に進み、やっとこうして発表できることになったことが嬉しい!
一個人や僕らみたいな小さな店がこうして協賛に入るって夢のような話です。
しかもこのフェスの皆様にもその価値を理解してもらい、相思相愛。
このフェス自体はそもそもは、メトロックなど大きなフェスを運営する会社が
「自分たちがやりたいフェス」を作り上げている途中のもの。
まだまだ認知度もなく、ゆるりしています。
会場のいたるところで可能な焚火。夜になると焚火が美しく灯り、なんとも幻想的な空間でのライブになります。
キッズスペースも充実しているし、何より都心なので来やすい。
天気が良ければ最高!夜は少し涼しくなるのがいつもの焚火フェス。
我々も当日楽しむ気満々です。
ケイブルワリーやアトリエドテリーヌメゾンオケイが2年経ち、OKEI独立してから18年目の今。
「優れるな、異なれ」
そんな言葉が昔から言われていますよね。
僕はあまり意識はしてきませんでした。でも最近、自分自身がそうしてきたかもしれないって自己分析したり。
広告代理店で評価してもらっていたのに独立。当時あまりなかった石窯ピッツァ。
大した修行もせずに・・・ソムリエ資格取得をどんどん促したり。
グラスワインを数十種類もそうだし、挙句ビール造り。
何かに優れてきたわけではなく、何となく「普通」ではないことばかりやってきたような気がします。
今回、フェス主催や協賛というお題があった2年。
結局、あんまりいないよなーそんな人。
友達でいます?フェスの協賛してる人。
パナソニックとかポカリスエットハイネケンに勤めている人はたくさんいるでしょうが。いないですよ、僕の知り合いにもほとんどいないですから。
そういう意味で「優れるな、異なれ」っていうのは確かにそうなのかもしれないです。
同時に、みんな少しずつ異なっているもの。
その異なりを生かすも殺すも自分次第。
生かせなかったらだめってわけでもないし。
でもこうしてチャレンジをして行けることへの感謝とワクワクを止めずに生きていきたいなと思う。

一日1000人くらいのフェスだから、みんな来てくれたら、かなり楽しくなりそう。
100人いたり、200人いたりしたらめちゃくちゃ楽しい。
会場でオケイ関係の方には何か目印になるアイテムをギフトしたい。
何がいいか考えますね。

とにかく10月28日、29日は予定を空けてください!
1日でも来てください!!

退社したワッキーの話

3月31日で退社したviva!okeiシェフ ワッキーのことを書きますね。

ちょっと前に書いたblogで退社経緯は書いてあるのでこちらを見てください。
https://pizzeria-okei.hatenablog.com/entry/2022/12/01/005243

今日書くのは最終日3月31日を終えて思ったこと。
先に書きますと、その日の売上は過去最高、おそらく塗り替えることのできないような売上でした。
それだけを書いても、彼が経った1年というviva歴の中で残したものはあったと確実に言えます。

そもそもワッキーは駅前ビルにあるvivaには向かない人でした。
はっきり書けば、声も小さい、何となくドギマギしてる、何となく心細い感じ。
それでも僕は彼にシェフを任せた。

それは彼のやってみたい気持ちがあったから。不安はあったみたいですが笑
もちろん、向かないんだから、イマイチうまくいかないこともある。
武田にもその話は最初からしていましたし、何とか殻を破るようにしようと話していました。

案の定、大変だったと思う。正直、嫌だった、辞めちゃいたいって思う時もあったみたい。

シェフになるにあたり、ワッキーにはあるお願いをしました。
インスタに毎日投稿してくださいって。統一感のある、メニューを毎日毎日。
結構、1度の指示で継続してくれるスタッフというのは稀です笑
《本にするから。だから継続してほしい》
そう言って彼はずっと1年間、続けてくれました。
SNSを続けることってあんまりできないんです笑
僕はそれが彼の良さだと思っています。
僕の思いは、そんなにコミュニケーションが上手ではない彼をどうやって育てるかということ。
その手段がこのインスタでした。
vivaのインスタを見てくれている人がまずはワッキーを知ってくれること。
自分の得意な料理や試験的にトライしている料理のことを書く、一方的に書く。
文字で書いていくと整理されていくし、ちょっとした人間が出る。
そこが重要でした。
インスタを続けてくれたおかげで彼の人となりを分かってくれる人々が増えていきました。
お客様がインスタを見たよって話しかけてくれたと思います。
コミュニケーションが苦手な人は基本、話しかけるのが苦手なんですね。
でも話しかけてくれたら話したいんですよ、本来。
そこを引き出してくれるお客様が駅前ビルには沢山いると思っていました。
ワッキーのいいところだけを見てくれる、愛情いっぱいのお客様がいました。
ここはじっくり、あまり大きな要求はせず、ただただインスタを更新してほしいとだけ言うこと。
それが僕のキモチでした。
結果、少しずつカウンターとワッキーの近くの席には盛り上げてくれる方が増えていったようです。
そしてそれを境に、ワッキーも少し殻を破り、接客が楽しくなり、自分の居場所を見つけ、仲間を見つけました。
今、退社した後に沢山の仲間と対話しているのを聞くとグッときます。
皆さん、支えてくれて本当にありがとうございます。

そして3月31日。徳島の移籍先オーナー田上もわざわざ来てくれて盛り上がりました。
その光景はもう光り輝き、本当に素晴らしい光景でした。
沢山の方がワッキー!って大きな声で呼び、叫び、乾杯。
僕は泣いてしまいました、。、
ただただ、営業中に泣いてしまいました。同席していた常連さんだけがわかっていたかもしれませんが。
盗撮された写真をアップしておきます笑

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そしてその裏にはお客様がサプライズを仕込んでいたり、武田が時間ない中でもワッキーのために作ったアルバムをプレゼントしたり。
サプライズの仕込みなどを見ていましたが、僕はあまりそこに参戦しないようにしました。
だって、ワッキーの前にいる応援団がたくさん考えてくれてる。
僕が出ていくと急に会社みたいになるじゃないですか。シンプルに彼の応援団がしてくれているすべてを彼が感じた方がいいから。
ホントに幸せな空間でした。
ワッキーのお陰でそういう気持ちも分かったし、本当に感謝しかありません。
自分で動く、そんなことも彼は出来たと思います。

最後に酔っぱらう前にってことで、手紙をワッキーに書きました、営業前に渡したんですよ、31日に。
そしたら僕も、、って手紙をくれた。そしてエプロンをプレゼントしてくれた。
本当に嬉しかったな。
彼からの手紙でとっても印象的な内容があった。
コロナになるまで、ずっと書いていた給料袋裏に書くお手紙。一人一人に直筆で僕が手紙を書いていました。
コロナで休業が続いた2年半くらい。実は何となくその手紙が風化しました。
僕なりに理由はあったんです。だって書くことが無くなってしまったんです。
営業してないから、何も書けない、、、、今をどうするか、潰れるかどうか、、、
そんなことしか書けない。だから書けなかったんです。
そして今はラインでシェアして終わってます、給与明細。
で、それに対して《寂しかった》《いつも書いてくれて嬉しかったのに、無くなって嫌だった》
って最後の手紙に書いてあったんです。
《メチャクチャ忙しいのに書いてくれること、嬉しかったし、見てくれてるってことが幸せ》
そんなことが綴られていました、
もちろんそんな文句だけじゃなく、感謝もね笑
僕もびっくりした、あれをちゃんと向き合ってみていてくれたんだなって。
そして反省しました。
6店舗になって失ったものや得たものがたくさんあるんですが、それってこうした少しずつ変化しちゃったものが影響するのかもなって。
テガミノチカラを僕はコロナで改めて語っていた時期がありました。
継続していくべきもの、変化すべきもの。
それをワッキーの手紙の力で再認識させてもらった。
だから何らかの形で復活するからね、ワッキー
ありがとうね、気づかせてくれて。

徳島に必ず行きます。
ワッキーへの手紙の最後には僕はこう書きました。
《一生友達でいよう》
友達だからさ、また遊ぼう。次はオーナーと社員じゃなく、友達として。

多くの退社がある今。改めてフィロ本村の話。

3月31日を持って高輪台フィロの譲渡とともに、フィロ外川と本村が退社。
同日にviva!okeiのシェフワッキーが徳島イプシロンへ(オケイからの独立店)の移籍で退社。
怒涛の日々を送っています。
怒涛というのは、実は会社全体からするとこの2か月でかなりの人数が退社しています。
そして入社予定が無くなったり、、、人員を多くしていたつもりが、激減してしまいました。
飲食業の中で今課題になっている人不足みたいなものを18年目にして初めて感じています。
3月30日全社を休業にしてちょっと思いを話す時間を取り、その後送別会をしました。
6店舗になり、集まることが全く出来なくなっている現状ですが、ダメだなと。
「離れているからしょうがない」って思うのは簡単ですが、まだやり切れてないなって。
だから、思い切って休んで送別会をするって時間をもらいたかったから。
正直、もっともっと送別をしたかった、でもやりきれなかった自分もいます。
だからせめて休んで送別したかったし、気持ちをしっかり伝えました。。。
すぐ泣くんですがね。
フィロについては4月から彼らの手の中でスタートしています。見た目は変わりませんが気持ちはかなり違うでしょう。
今フィロでフロアにいる本村さんについて少し書きたいと思います。
ワッキーについては明日書こうと思います。

入社するときに、僕は「フィロで勤務してもらうがほかのお店への移動も視野にある」ことを伝え、了解してもらいました。
それは外川独立が視野にあったからです。
外川は武田と二人でスタートすることを決めていましたし、相談されていましたから。
少し時間が経ち、具体的にvivaへの移動する話を本村にしました。
もちろん約束していることでしたので、了解してくれた。
ただ、言葉では了解していたのですが、僕には寂しそうに見えた。
なので、ちょっと本村の気持ちを確認したく、vivaに週1回働いてもらいました。
それはあくまで研修的に。
そして数回働いた感じを見て、そこまで会話したわけじゃないですが、わかりました。
フィロにいたいんだと。
もちろん、いま大きな課題になっている人。本村がビバにいたらどんなに良かったか、、、と思います。
ただ、本村さんは本当にいい人なんですよ、だから彼女のキモチを汲んであげたかった。
そこで、外川に会いに行きました。話をしようと。
そしてこんな話をしたんです。

《武田と二人でやるというのは理解しているし、認めたよね。ただ、現状の売上、忙しさを考えるとアルバイトは雇うよね。
3人必要なお店に成長をしたから。外川は料理に集中できる環境を作るのが本当に大切。
人の悩みを今抱えるのはかなり大変だよね》

もちろん外川もそれは大きく頷いて、そこが今課題だと思っている感じでした。
そこでぼくはちょっと怒ったんですよね

《今、目の前にいる本村さんが本当はフィロにいたい。そう感じているのはわかるだろ。
なぜ、僕に頭を下げてでもお願いしてこないんだ、本村も欲しいって。
同郷の沖縄出身の女性、経験もあり、人もいい。年齢も近く、そして何より外川が大好きでフィロが好きで働きたい!と思っている人。
そんな人が独立するときに目の前にいるわけじゃない?
それでなぜ、そこを何とかほしいと言えないんだ!》って。

外川はボロボロ泣きながら言ってました。
《ありがとうございます。。。。片寄さんにいつもこうして支えて頂いて本当にありがとうございます》

それからそのあたりの話を外川として、しっかり自分から本村にフィロにいてほしいって伝えてもらいました。
本村もことあるごとに感謝をしてくれますが、本村さんがいい人でなければそれも思いつかないし。

結局、人が課題だけど、人が財産で人で動くしかないですよね。

僕は本村さん、大好きですし、ずっと応援していきます。
フィロが超いい店であり続けるのは確実ですね。

僕の決断やココロの中身を書きました。
思えば新橋という場所だけで勝負してきた15年であれば、退社や入社に対して

全員に同じように出来るだけなことをしようとしてきた。

こうしてコロナで沢山のエリアで勝負をし始めてそれがしづらくなってしまった。

でも思いは変わらず、それぞれに対して僕なりの感謝と思いは伝えている。

本人にしっかり届いていれば嬉しい。

明日はワッキーの話を書きます。