okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

okei3号店ができるまで 3

今、いろんなことで悩み苦しんでいます。
当然、です、お店をやるんですから。
日々の営業と同時進行で、やっていくこと。
3店舗目ということで慣れているとはいえ、慣れません。

設計については、友人のイサムがやっています。
今何度となくデザインを出しては変えて、過ごしています。。
代理店のころのCM絵コンテを思い出します

今回はピッツァの窯が大きい分、レイアウトによっては全然お客様の席が取れなくなってしまい
お店はできたけど、お客様はいっぱいだけど、席数が無くて、潰れちゃう・・

やりたいこととやれないこと、やらなきゃいけないことなどを整理しつつ、お金との兼ね合いがあります。
また、ピッツァ窯に関しては、排気の問題があります。
屋上までダクト排気を上げていくのですが、それ以外にもいろんなパーツをつけなくてはいけず、
窯と排気で400万円いかないくらいになります。
これを高いとは思っていません、いいパートナーと出会えて安心な部分もありますから。

ただ、予算は限られているので、そこからどうするかって感じです。
あとイサムは友人ですが、出来るだけしっかりとした金額を支払いたい。

だからこそ、しっかりと削減するところはして、彼へのフィーとして支払いたいと思っています。
彼は、今仙台で復興支援で色んな物を作っていますが、かなり赤字でやっています。
助成金などもありますが足りず、100万円単位で色んなものをかぶっていますが、
なんだか正義感が強く、カッコつけのこともあり、・・・

だからこそ、彼にしっかりやってもらい、しっかりと支払う。

そんな友人関係をまず、やりたいと思う

okeiというものができる中には多くの犠牲がありましたし、
無償の愛情での奉仕が皆様からたくさんありました。

今回もお願いすることもあると思います。壁塗ったりいろいろね。

でも、それでも、他ですでに設計士として使命を果たしている彼には
そうならないようにすることが一つの、社会人としての普通のこと。

そして彼の作品としてokeiが存在し、彼の仕事が舞い込んでくるくらいのお店にすることが必要かなと。

お店をやるには色んなトラブルがありますが、
多くの幸せのためには潜り抜けていかなきゃいけません

共にそれを乗り切り、晴れて彼と美味しいビールを飲みたいと思う