okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

幸せな心持です。

今週末。12月9日は周年party。
12年。なかなか長いかな。
飲食業で10年以上続くのは3%と言います。
でも97%の人たちがどうしようもなくなっているわけではなく、
すっと手を洗い、別な事業を始めている方もいるだろうし、サラリーマンになる人もいる。
何が幸せというのは決まりはないから、その数字にはあまり興味はない。

ただ、僕にとって日を年数を重ねていく事はとても誇らしい事だ。
人との比較ではなく、自分として。
何事も続けるのは大変なことで、僕も日常にどうしても必要なこと以外はなかなか続かない。
okeiというお店をやった12年が僕にとって一番続けていることではないかと思う。

続けていけるコツは何ですか?
良く聞かれるこの時期。

続けていく勇気、我慢かもしれないという。
美味しくしよう、楽しくしよう、お店を出したらいろいろみんな頑張る。
でも、当たり前だけどほとんどうまくいかない。
だいたい出来なかったり、出来たり。
時にはとんでもないことが起きたり。
一生懸命努力しまくって、ちょこっと叶う。
そんな繰り返し。
だから、何もしなかったら絶対ダメになるし、誰も目の前からいなくなる。
だから、見返りなんてなくても、目の前のお客様が楽しそうにしてくれる笑顔をもらえるだけで
過ごせる気持ちが必要だったりする。

たまに営業しながら泣く時がある。
何もない時。だいたい、急に時が止まる。
僕以外の全てのものが動いて見えて
僕が夢だったお店を誰かが叶えてくれている感じがいきなり目の前に来たような。

本当に幸せで胸がいっぱいになる。

結局、それがしたいだけ、みたいだけ、その空間にいたいだけ。

色々不幸せなことを並べることは簡単。
でも自分がどれだけ幸せかって言えたら、スタッフはここに嬉しそうに来てくれたりする。
お客様も楽しそうにしてくれたりする。

僕は幸せです、だってokeiにいれるから。
僕は今、かなり胸を張って言える。

父が嬉しそうに飾る絵があるokei。
友達がたくさんできたokei。
自分の好きなカズやサザン、それらを見たり聞いたりできるokei。
僕と一緒に仕事をしたいって言ってくれる人がいるokei。
自分のあだ名okei。
両親姉、妻やその家族がふとした時に寄れるokei。
スタッフの家族が笑顔で来るokei。
先輩や友達が来てくれるokei。

沢山のokeiがあって、僕には夢のような空間。
このokeiを作ってくれた仲間やお客様たち。
ありがとうっていう言葉が大好きで、それが飛び交うことが幸せでならない。

僕が究極論、死んでしまっても、okeiがなくならないことを考えている。
この空間が誰かの手で継続し、何十年も何百年も続くことを祈る。
そのためにできることを僕がなるべく長く生きて、okeiを続けていく事かなと。

そうすれば、僕もずっと幸せ。

面談

今現在、面談の真っ只中。

年に2回、スタッフとの面談を行っている。
ボーナスがあるため、夏と冬。
1人2時間ほどだ。長いようだがあっという間・

その資料は1人に対して3枚から5枚。A4の紙に文章。
以前は五段階評価とかいろいろと試したが、自分には難しく、思いを文字にして伝えている。

気持ちを文章にすると書いている間に色んなことを考えて泣いてしまうことも多い。
スタッフとのことや今までの事、お客様の事。
愛情なのか、後悔なのか。わからないけど泣けてくる。

同時に後半の面談のタイミングがこの時期。
12月に毎年パーティを行っている時期。
今回は12周年ということで干支が回った。

そのことを考えるとやはり泣けてくる。
長く続けられたこと。
その前に、okeiを始められたこと。
それが僕には特別でこの二つが一番かな。

そしてそのためにはお客様がokeiを目指してきてくれたこと。
毎日、はじめてくるお客様がいる事。
幸せだなと思う。

店はお客様とスタッフが作る。
僕じゃない。
僕はスタートさせて、スタッフの居場所を作ること。
お客様の場所を作ること。

12年があるのは紛れもなく多くの方々の支えによるものだ。
ありがとうって本気で伝える。

この面談の時期に一人一人のスタッフのことを考え、考え抜くのだが、
2時間の面談が終わりこうして帰る時には、あれもこれもと少し後悔したりする。

難しい。

12年続けていることも続けられなかったことも。
それでも店があること。

面談というものが実はオーナーを面談しているスタッフが目の前にいたり。
余裕そうな顔をしてもっとも緊張しているのは僕なんだよね。

あっという間に12月9日になるだろう。
泣くと思う。

今年は最もきつい1年だったから。
でもだからこそ思い出が深い。

スタッフとの絆が深い。
大切にしたいあと少しの2017年。

12年、続けていけそう

僕はお店を経営して12年を迎える。
毎年毎年、12月9日に近づいていくとビクビクする。
年末に会社でトラブルがあることが多いから。

去年は最大だった、僕がishimaruお店オープンのため3か月間、勝どきのお店につきっきりの間に、
新橋okeiでは社内で多くのトラブルが発生しており、崩壊してしまった。
実際ビストロokeiがなくなる事態になった。

全てがなくなることも想定していたが、何とか立て直して1年間、スタッフと共に形にすることが出来てきた。
もちろん、以前の売り上げをあげることはまだまだできない、

損失1000万円という会計士のコトバで始まった今年。
本当にきつかった。
まだ終わっていないが、周年パーティを出来ると判断できたのでこう書いている。

店を経営するという夢の中にはなかったことが、沢山起こったというのが印象の1年。
僕の能力不足が否めない。

いろんなリスクのある経営というものにとても考えさせられた。
まだわからないことばかり。

でも、やりたいことも溢れている。
幸せなことだ。

誰しも挫折があるとは聞いていたが、自分になるとやはりつらい。
経験もしたくないこと。
でも、経験するものなんだなーと感じている。

それでも乗り切れないものもないんだなーと1年間で強くなって気がする。
12月9日に12周年パーティを行う。

初めての方も来てほしいし、今までの方も1年間乗り越えられた僕たちを見に来てほしい。

2020年1月にビルが建て直しになり、トラットリアokeiはいったんなくなります
この規模でやるのはあと2回か3回。
ぜひ一緒にすべてを目撃してほしい。

そしてお店を出すこと続ける事、そしてそれを幸せに感じ続ける事。

僕がそれを続けられるまでokeiはあると思う。

皆の中にもokeiがあるといいなと思う

Pizzeria terzo okei OPENして5年になりました

今日はひっそりと記念日でした。

1階Pizzeria terzo okeiというお店がひっそりと5年を迎えた。
明日からはもう6年目だ。
12年弱前に 2階にPizzeria Bar okei を出した。
自分は29歳だった。
4年後には3階に2店舗目を出した。

2012年4月くらいに隣ビル1階の物件が空く情報が入った。

20年ほど新橋1丁目で個人店が出せるような場所が空くことはなかったようだった。
路面店の経験がなかった自分は心のどきどきが止まらなくなった。

その時期に拡大してよかったどうか、わからなかったが、ある程度感覚で決めたと思う。

空中階から見下ろして人通りを見ながら過ごしてきた7年間。
自分なりに充実もしていたが、世に出ていく感覚が1階にはあった。

この決断が今の自分のベースになっているかもしれない。
人は増え、トラブルも増えたし、抱える悩みもドンドン孤独になっていった。
だいたい、拡大していけばいくほど自分しかわからないことが増えて、孤独になる感覚は
おそらく多くの経営者が掴んでいる真実だろう。
そこが外から見ている自分とのギャップになり苦しくなったりする。

でも、はっきり感じるのは2012年9月10日にPizzeria terzo okei を出して良かった。

あれから5年が経ち、多くの人が旅立ち、多くの人が働いてくれた。
仲間と食べる賄は、ほぼ1階で食べている。

幼年期家族が崩壊してしまう前にかすかに残っている家族団らんの証、それが1階の壁にある大きな絵。
父親が大学生くらいに書いた油絵。

僕の家族団らんはあの絵が全て。
そこで食べられるま構いは格別だ。
そして、そこでお食事を楽しんでくれるお客様たちを見ているとニヤニヤする。

だから親子で来てくれたり、仲間で来てくれたり、大事な時に来てくれたり。
そんな時にあの絵があると嬉しい。

あーずっとそうしていたい。

お店を出すって大変だと思う。
人によって考えもあるだろうけど大体大変だと思う。
色んな場所で色んな人のオープンに携わってきたし、見てきた。
みんなありがとうって気持ちしか言えない。
でもその裏には誰にもわからない苦労があったりする。

それでもみな自分のお店を持つ。
それだけ夢がある。

そこには自分の夢だけじゃなく、仲間や家族。
そして何よりもそこに来てくれるお客様に出会い、幸せをもらえるという
大きな夢が待っている。

7年目で1階のお店を出せたことは
自分の何かを変えた。

1階にお店を出してから来てくれたお客様に出会えたこと、
それまでのお客様が今も来てくれる幸せ。

これからの自分に力を与えてくれる今日。

okeiというお店で働いてくれている仲間に感謝します。

夢の時間

やはり僕にとって無駄なことってとっても大切なことだ。


毎年恒例のロックフェス社員旅行 今年は僕にとって16回目のロックインジャパンに。
2年間はラブシャワーだったが、新しいスタッフも多い事もあるし、元祖へ。

僕にとってロックインジャパンというフェスにであったのが2002年。
桑田さんが初出場した時だった。
当時は桑田さんだけが目的だった。協同広告の先輩とかいろんな人を誘い20名ほど。
24.5歳だった僕は初めてのフェスということで色んな準備をして、引率をした。
色々と不備はあったが、とっても印象深い一日だった。
ウルフルズをはじめ、今では自分の人生を左右するアーティストの出会い、
何よりも夏フェス ロックインジャパンというラクエンとの出会いだった。

ある目的をもって訪れた場所であったが、持ち帰ってきたのは

開放的で笑顔溢れ自由な空間。
若かった僕にとっては楽園でしかなく、音楽があれだけ幸せに聞ける環境がないと思った。
そして、音楽が聴けるというが、聞かなくてもいい。
無駄な時間を仲間と過ごし、くだらない話、真面目な話。
色んなことをしてきた。

あれから16回目のロックインジャパンだった。
その間は色んなフェスに行った。
でも、あのクリーンさ、トイレの多さ、誰でも楽しめる空間。
遠すぎず、近すぎず。

僕にとってはすべての楽しみが詰まっる。

2005年に独立してからは、社員も連れて行っている。
飲食の人たちは(語弊もあるが)真面目で、遊んでいないという印象があったので
自分のお店のスタッフには少なくても自分が経験した遊びは伝えたい。

遊ぶ準備、遊ぶ辛さ。
団体行動の良さ。
協力するということ。
自分が気が進まなくてもやってみることで誰かが幸せになる、幸せ。

何よりも何よりも・・・
【どんなに考えても肌で感じるものには勝てない。どんなに考えても伝わらないことが、一緒に楽しむことで伝わる】
【裸の付き合いという言葉があるが、一緒に過ごし、風呂入ったり寝たり。やはりそんな共通な時間が何かを生む】

仲間との時間は絆の時間。
OKEIのスタッフだけじゃない。
大澤夫妻、西野、ともこ、山上、宮坂。
この仲間たちとの時間をとってもとっても大切にしたい。
あー夢のようだった。

何が夢のようかというと、みんなが楽しかったって言ってくれたから。
また行きたいって言ってくれたから。



やはり僕にとって無駄なことってとっても大切なことだ。


毎年恒例のロックフェス社員旅行 今年は僕にとって16回目のロックインジャパンに。
2年間はラブシャワーだったが、新しいスタッフも多い事もあるし、元祖へ。

僕にとってロックインジャパンというフェスにであったのが2002年。
桑田さんが初出場した時だった。
当時は桑田さんだけが目的だった。協同広告の先輩とかいろんな人を誘い20名ほど。
24.5歳だった僕は初めてのフェスということで色んな準備をして、引率をした。
色々と不備はあったが、とっても印象深い一日だった。
ウルフルズをはじめ、今では自分の人生を左右するアーティストの出会い、
何よりも夏フェス ロックインジャパンというラクエンとの出会いだった。

ある目的をもって訪れた場所であったが、持ち帰ってきたのは

開放的で笑顔溢れ自由な空間。
若かった僕にとっては楽園でしかなく、音楽があれだけ幸せに聞ける環境がないと思った。
そして、音楽が聴けるというが、聞かなくてもいい。
無駄な時間を仲間と過ごし、くだらない話、真面目な話。
色んなことをしてきた。

あれから16回目のロックインジャパンだった。
その間は色んなフェスに行った。
でも、あのクリーンさ、トイレの多さ、誰でも楽しめる空間。
遠すぎず、近すぎず。

僕にとってはすべての楽しみが詰まっる。

2005年に独立してからは、社員も連れて行っている。
飲食の人たちは(語弊もあるが)真面目で、遊んでいないという印象があったので
自分のお店のスタッフには少なくても自分が経験した遊びは伝えたい。

遊ぶ準備、遊ぶ辛さ。
団体行動の良さ。
協力するということ。
自分が気が進まなくてもやってみることで誰かが幸せになる、幸せ。

何よりも何よりも・・・
【どんなに考えても肌で感じるものには勝てない。どんなに考えても伝わらないことが、一緒に楽しむことで伝わる】
【裸の付き合いという言葉があるが、一緒に過ごし、風呂入ったり寝たり。やはりそんな共通な時間が何かを生む】

仲間との時間は絆の時間。
OKEIのスタッフだけじゃない。
大澤夫妻、西野、ともこ、山上、宮坂。
この仲間たちとの時間をとってもとっても大切にしたい。
あー夢のようだった。

何が夢のようかというと、みんなが楽しかったって言ってくれたから。
また行きたいって言ってくれたから。

OKEIのスタッフを連れていくということが
何になるかなんてわからない。
でも僕を作ったのがロックインジャパンであるなら
伝えたいなら、行くしかない。

飲食店は人が安定しないという。
そういう時期もある。
僕は楽しく生きている事を伝えるしかない。
辛い事ばかりでも幸せだって言える。
その理由を伝えることも必要。

ただ、どう伝えていいかわからないこともある。
準備したり、片づけしたり並んだり。
色んなことで仲間が誰かを幸せにすることへの喜びを
肌で感じることができるなら、無駄なことも必要なんじゃないか。

これからも無駄なことを積み重ねていく。
何かになるよ

幸せの違い

この2週間ほど、あまりパソコンの前に座る時間がなかった。
なかなかこんなことはなかったかもしれない。

単純に朝から夜中まで営業にいただけなんだが、改めて飲食業というものを新鮮に感じることができた。

この数年は、10時ころに出勤し、26時まで営業に入っている。
ただ、ランチ営業には出ていなかったため、いわゆる社長業は16時までの時間に出来たり、
これからのプランをボーと考える事も出来た。

今は営業と営業準備、片付け。
全てをスタッフと共に行っているので、時間は無くなる。

日曜日はあるから、家でルイボスティーを飲みながら仕事をしているのが最近だ。

大変。と言えば、それまでだが、そんなことはない。
そもそも、独立する時に数年後のプランを考えたり、スタッフのこと、シフトやお金のこと。
それらを考える管理する仕事をしたかったわけじゃない。
ただただ、自分のお店を持ち、いらっしゃいませーとか、こんばんわーとか会話があり、
自分が行うサービスで多くの人を幸せにしたかった。

朝から晩まで自分の作ったお店を行き来しながら、自分のお店で働いてくれる仲間と共に
同じ汗を流せることが楽しい。

もちろん、社長業がおろそかになったりするけど、しょうがない。
やれることはやるし、やれないことはあきらめる。

諦められないのは、自分が楽しむこと、スタッフが楽しむこと。
お客様全てに幸せになってもらうこと。
出来なくてもそれが目標であることは叶わない。

飲食業に入ると、体がきついとか、給与が安いとかいろいろある。
もちろん、okeiでも大変なことはなくさんあるし、
スタッフが不安に思うことは沢山あるだろう。
でも、僕の目指しているのは楽しむこと。

楽しいことは楽じゃない。
大変なんだ。
でも、つらいだけじゃない。辛いだけにしてはいけない。
それが僕らオーナーの腕。

少しでもいい環境にしようとする男気は見せたい。

正直自分の50歳をまだ想像できない。
20周年の自分とスタッフをすべて想像できない。
でも、幸せに過ごしたいと思っています。

何が幸せなのか
それは、僕の周りが幸せであること。それが僕の幸せなんだ思う。

だから幸せになりたーいって感じるより

沢山の人を、幸せにしたーい。
そう思っています。

ソムリエ受験の意味とオーナーの考え方

okeiでは今まで15名のソムリエ合格をしてきました。

2011年に僕とスタッフ1名で始まったこのトライ。
その年に1発合格をしてから、7年目。
毎年1名以上の合格をしてきました。
合格率は 93%。

毎年難しくなるこのテストを会社として取り組んでいくには
かなりの労力がかかります。

ただ、7年前に自分が受けてみて

『これは受かる』
って思いました。

もちろん、大変ですけど世の中で言われているほど神々しい資格でもないなと。
勉強したくて、勉強すれば受かるものだなと。
でも問題はお店として全面的に協力する体制が不可欠だなと。

そして費用。どうしても学校に行くとなんだかんだで20万は超えていきます。
欲しい情報や欲しい知識を得るためには自己投資が必要だと常に思っていますが、
飲食の給与事情だとこのお金が各個人に負担できないから受けない。わからないということになる。

そこで会社負担ですべて投資することにしました。
ただし、受かることが条件です。
受からない人は自費になります。

僕がなぜこの資格がいいと思っているのか。
それは、会社のものではないからです。
最終的に自分だけのものだから。ただ、自分の資格になること。
そして飲食に関わる資格で目に見えて、お客様が理解できる可能性がある資格の中では
一番有名で、理解してもらいやすい資格だと思うからです。

ワインを提供している中で最低限の知識をもつことで
お客様の満足度は変わりますが、それよりも自分が楽しくワインと向き合えたり。
女性だったら飲食辞めても、主婦になっても、ちょっとしたときに
そのワインの知識がコミュニケーションツールになると思います。

僕としてokeiというお店で働いてくれたことが
今だけじゃなくて、これからの人生が豊かになるものになってほしいと思っています。

その中ではこのソムリエというものがその一つとして考えています。

限られた人生で飲食という職業を選び、イタリアンという世界へ飛び込み、okeiで働くということは
とっても奇跡です。
奇跡の出会いの中で少しでもみんなの何かになればと思っています。

そして、ぜひ多くのお店で会社負担のソムリエトライを広めてもらいたいと思います。
それが売り上げではなく、何よりもスタッフの豊かさへのチャレンジであることを伝えたいと思っています

最後に、見えないソムリエ受験の効果があります。
スタッフの団結力。

みんなで一人や二人のソムリエ受験のために勉強したり教えたり、
時には一緒に笑ったり。
最終的には合格したときには、美しい涙をみんなで流しながら抱き合ったり。
辛い日々を共有できることが、実は楽しい日々を約束してくれる。

会社で取り組むことが何かを生むこと。
それを大切にしていきたいですよね。
でもなかなかどこかに遊びに行くって言っても休日を使いすぎるにもおかしい。

日常会話にワインの問題が飛び交うことで実はそんな空気が出たり、
仲間意識が出たり、自分の知識がプラスされたり。
愛情いっぱいのお店になるイメージがあります。

時には疲れてしまうこともある、

それでも互いを認め合い、慰めあい、助け合う。
生涯の友情を生んだりする。

僕らオーナーが努力すべきは、売上というものが当然必要だが、
雇用を生んでいる以上、彼らが過ごすビジネスの時間でビジネスの時間でしか、
その多くの時間を共有することでしかなしえない豊かさを注いであげる事じゃないか。