今僕は靴を修理に出している。
意外と物持ちのいい僕にとっては、その行為は普通なこと。。
その靴は17年前、15歳くらいの頃、代官山のデプトで一万円くらいで購入した。
でも修理費は一万五千円・・・・でも僕にとってはお気に入りの靴だから全然よかった。
その靴が今週帰ってくるのだが、そう思っていたらその頃のことをふと思い出した。
中学の頃、毎日サッカーに明け暮れていた僕。
でも「将来の夢」みたいな課題の作文には「食べ物屋」と書いた。
理由は簡単「美味しいものがたくさん食べれそうだから」
何ともおバカな理由だったけど、こうして夢をかなえている自分にはびっくり。
その頃の漠然としたものがこうして具現化されているんだから。
思い続けていたわけじゃないけど頭には何となく残っていた夢。
そしてずっと履かれていたわけじゃないけど、何となく捨てられず、何となく履かれていた靴。
まるで焼きたてのおいしいパンのような風貌のその靴。
僕は今週その靴の帰りをにこにこしながら待っている。
なんとなくそんなことを考えると・・・
何かを続けることって何かを生むんじゃないかなと思えるようになる。