12月15日にはおけい屋を完全に引き渡すし、年内には炭おけい屋も完全に撤退。
先日、ミーディングをするために作った資料で改めてわかったのだが、僕は16年間で14屋号(お店を出した数)を作り、現在5店舗。
そうやって失敗や成功、挫折や敗北を繰り返し、今がある。
くしくも同じ16年間で卒業生のお店が14つとなった。
同じ数の店舗が作られたと思うと、この積み重ねてきた時間と歴史が不思議というかなんというか。
40年とか続いたり、15年間1店舗をしっかり続けているお店もあれば、すぐ潰れるお店もある。
そういう意味で僕がしてきたことがイレギュラーかそうでないのか。
僕にはわからない。
正しいかというよりも事実。
ただ、これだけ多くの積み重ねをしてきたから今があるという事実。
そして今初めて行うことばかりで、何だかよくわからないことが続くが、それらに対応していく日々をひたすら費やしている。
それもまた失敗や挫折と少しの成功が積み上げられていくのだろう。
まさに寄せては返す波のようにという言葉がぴったりかも。
この数年間、平気でお店がなくなってきたように見える。
僕だけじゃなくて、日本中が。
でも閉店作業を一人で日曜日の中にしていて、そんなことはないって思い、綴っている。
想いが宿り一生懸命作った場所を平気でなくせるわけがない。
イタリアンしかやってこなかった自分が始めた出した居酒屋であり、日本ワイン専門店を初めてやって、作り手のところに通ったり、勉強したり。
食洗器がないから朝まで洗い物したり。
周りの方にも浴して頂き、今vivaもあるのも、おけい屋があるからで。
戦いまくった場所だったから本当に悲しいのです。
あまり表現してこなかった「戦いまくった」というコトバを使ってみた
全て違うスタートを切った場所だった。
酒屋も新しいところもいれたし、新しいお客様がたくさん来てくれるようにとか。
メディアも露出が増えた時期。
一人のオーナーがいきなり居酒屋をやる!と言ってあまり賛同されなかった。
だから、絶対結果をすぐに出さなきゃいけなかった。
松山には苦労を掛けたが結果を出せた。
ずっとあそこで躍動する店をやりたかった。
周りの先輩店舗の方も本当に良い方で大好きだから。
あー泣けてくる。
だから、簡単に閉店して新しいお店をやってーみたいに笑顔でいる時もありますが、全くそんなことはなく。
絶望に中でも光を見出したく、前に進んでいるということ。
ただ、そこに新しい光のスタッフがいたり、新しいチャレンジをいろんなこと無視してどんどんやってくれる人たちがいて。
今自分が全く出来ない奴だけど、ついてくる人もいて。
だから、笑顔で愉しくやりたいんだ。
諦めたくないし、飲食店は楽しくなきゃ。
新しいスタッフばかりで。。。とお客様に言われてしまうこともあります。
誰も知らなくなっちゃったーって。
それでもokeiなんです。
そこにいるスタッフは、このコロナの中、okeiを選んでくれた仲間なんです。
僕にとって家族。
是非、ご来店の際には、昔話でもして教えてあげてくださーい。
いつも支えて頂きありがとうございます!!!