okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

明日15時半から全体ミーティング

何かを得るために、何かを捨てていく。

それにより、物理的・現実的に隙間が空いて、

新しいスタートが切れるかもしれない。

断捨離っていうやつもそういう意味があるのだろう。

本屋に行くとそういう本ってたくさんあるんですね。

僕は正直言うと、もうムチャクチャ悩んで進まない日々を過ごしている。

ただ、明日ですね、少し前に進まなきゃいけない日なんです。

ずーーーーーーとそのために色々考えていて、全く進まない。

でも1個でも進みたくて、ここに書きながら整理している所です。

「あれをやるつもり」

「来年。はじめよう」

「明日やろう」

「やったことないから、出来ない」

「不安だからやめておく」

そんなことを言っていたらダメなのだよね。自分もそういう考えがスキじゃなくて。

僕は行動力があるって思っている人多いかな?

そんなことないのです、ハゲそうなほど、悩んで生きています。

やはり、新橋に4つが多いという現実を受け止めるかどうか。

向き合うのかどうか。

その他のエリアへの分散がとても重要だと確信していて、進めているのが、

豪徳寺や月島、日暮里。

ECサイトへのチャレンジも進めていきますが、どうしても苦しいのが家賃など。

去年より苦しくなっている。そうひしひし感じる。

モチベーションもそうだし、1年半くらいかな、続いていれば、人も変ったりしていく。どうしてもまとまっていくにも時間が必要なんだが、営業がないとなかなか難しいことがある。

それでもさっき書いたように、やり過ごしてしまいがち。

前向きに書いて置ける日もあるのだが、どうしてもこうしてそうじゃない時もある。

深呼吸して進もうと思う。

自分で作ったことを壊して進むもよし。維持していくのも良し。

結局、自分で作り上げたものだ。

覚悟をある程度決めて、進まないといけない。

コロナも意識していくが、自分が好きなことしかできない。

ワクワクすることだけを邁進していきたい。

そのために今のスタッフがやってくれることは無限大。

新しいことやわからないことも、スタートしていってくれるだろう。

明日の15時半から全体ミーティングで少しでも決定したことを伝え、

邁進できる体制づくりをしていきたいと思います。

 

 

営業時間の確認とキモチ

まず、現在の営業時間の告知をさせてください。

改めて6月20日までノンアルコール営業でピッツェリアテルツォオケイのみで飲食店営業を行っています。以下が営業時間。

また、おけい屋ハナレ酒店はワインショップとして150種類以上のワインを1本よりご購入いただけます。是非宅飲み、会社帰りに1本いかがでしょうか?

●Pizzeria terzo okei

【LUNCH】11:30〜15:00(L,O14:30)
【DINNER】17:00〜20:00(L,O19:00)

※ノンアルコール営業

※6/20まで無休

ピッツェリア テルツォ オケイ
03-6205-4057
東京都港区新橋1-15-10 長井ビル 1F
https://tabelog.com/tokyo/A1301/A130103/13147783/

《LINE》https://lin.ee/Jll5Pp6

Instagramhttps://www.instagram.com/pizzeria_terzo_okei/

Facebookhttps://www.facebook.com/pizzeriaterzookei

●おけい屋ハナレ酒店

12:00~20:00

※日曜日休

《LINE》https://g.co/kgs/N8Uqxw
《on-lineshop》https://wineshopokei.thebase.in/

Instagramhttps://www.instagram.com/hanare.saketen/

Facebookhttps://www.facebook.com/okei.saketen/

 

胆のう全摘手術の経過観測をしにいく6月10日までは禁酒しています。ま、飲む気にもならないのですが。

またアキレス腱の方も少しずつ良くはなっているのですが、根本解決は出来ないので一生このまま付き合っていくことになりそうです。

思いっきり走るとかできるようになるのだろうか。不安があります。

オリンピックや緊急事態宣言などへの意見が溢れています。

僕ももちろん、色々思うことはあるんですが、都からの要請に従うことをセレクトしています。そもそも各人に選択の自由があること自体が変だなーって思うのですが。

okeiというお店を16年間続けておりまして、沢山の常連さんが応援してくれています。正直、1年以上お会いできてない人たちもいる。でもたぶん、心のどこかにokeiや僕たちをかんじてくれていると思い、色んな発信をしているつもりです。

当然、我々の発信力や思いの伝え方が悪く、わからないこともあるでしょう。

ただ、良いお客様というか。仲間というか。大好きな人たちに囲まれて過ごしてきた2020年3月まででした。

今回だけではありませんが、出来る限り要請に従ってきた背景にはそこがあります。

今現在の売上は当然、無視していけば上がると思います。潰れてはいけないのでその選択も毎回思います。

お酒がないから、入店拒否されるキモチ、苦しいです。

絶対出せない状況にしてくれていれば、そんな思いをしないでいいのですが。

ちょっと話はそれますが、「タバコが吸えないならいいや」っていう方も多いです。

基本飲食店は全面禁煙!ってなったはずなのに。ドンドン決まりが緩くなって今では吸っていてもあまり気にならなくなってきましたよね。

申請をすればいいみたいな。よくわからないです。

話を戻します。

沢山のお客様にご来店いただき、楽しんでもらいたいです。

ただ、okeiの常連さんは、この緊急事態宣言中に無視して開けていても喜ばないと思いました。そこに沢山のお客様がいて不安がある中では、嫌だと思います。

今までオケイを守ってくれたお客様の心や愛情。その全てが今の自分を食い止めます。

営業することも正義だと思うから、飲食店が営業することに反対なわけじゃないです。

okeiだけの問題です。

本当は国や都として戦って、国民として戦いたいのですが、今は選択の自由がある以上は、会社として判断することが求められています。

協力金や給付金、助成金。計上できるものは全て申請していきます。

迷いながらも邁進していく、それは当分続きます。

僕の迷走を楽しみにしてください。

ほっこりした手紙。

4月末に静かにokeiを退社した小さなアルバイト岩瀬さん。

半年ほどしかいなかったけど、心は共に出来たなーと思ってる。

コロナもきっかけで入社してきた彼女。

前のお店では人間関係で少し悩んでいたのが初めて会った面接。

それでもオケイで働きたい!と言ってくれたのが嬉しかった。

働きだすと、小柄で可愛くて、前向きな彼女は、すぐにスタッフとなじんでいったのを覚えている。

半年くらい全店舗をサポートする形で助けてくれたなー。

緊急事態宣言など色んなことが重なり、実家である大分に帰ることになった。

最後に彼女が行ってくれた言葉。

「本当にOKEIに来るのが楽しくて幸せでした。ここに出会えたこと、片寄さんと出会えたことが嬉しかったです。大分に一度帰りますが、東京に戻ることがあれば、またokeiで働きたいです」

コロナがキッカケで仕事がなくなったり、辞めたり、色んなことがある時代。

それは避けられないこともあるだろう。

ただ、また失った場所に帰ってきたいと思える場所でよかった。

それまでにokeiを続けていきたい!そう心に誓える言葉だった。

そして、心が伝わっていたんだなーと思ったこと。

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手紙

社員全員と僕の嫁への直筆テガミ。

感謝が全員へきれいな字で書かれていた。

手紙が大分から全員に届き、オレンジ色の空気がみんなに広がる。

人のコトバや文字は幸せを運んでくれる。

それがちょっとずつスタッフに伝わっていく様。

これは本当にうれしいんです。

音を立てて変わっていくようなことじゃないから。

時間が16年かかり、入ったばかりのアルバイトの子で

分け合ってすぐ辞めてしまった子にも伝わっているキモチ。

たまりません。

決して派手な話じゃないんですけど、続けていくことを選んだ言葉を書くということ。

それがこうして跳ね返ってきたときにやっとわかることもある。

コトバノチカラというものが自分を強くしてきたし、支えてきてくれた。

思い出せばグッとくることばかりだ。

不安はある。言葉を伝えると必ず誤解もあるし、間違いもある。

間違いというのは僕の間違い。

スタッフに誤解を生むようなことを伝えた場合は、一気におかしくなってしまう。

ただ、何も伝えなければ余計おかしくなる。

13名ほどになるかな、社員それぞれに伝えていくということだけでも緊張感がある。

今、緊急事態宣言とか、これからとか。

判断が難しくて迷うことばかり。正直完璧な判断が出来ていないのが現状。

スタッフもモヤモヤしていることもあるだろうが、なかなか厳しい状況がわかってくれているのだろう。

そんな自分でも消化不良な中、届いた岩瀬からの手紙。

アリガトウってキモチと、助かった!というか、心が温かくなる瞬間。

本当にありがとう。

 

大送別会の日でした。

事業のことだけじゃなく、人と人のこととか。いろいろ悩みますよね。

胆のう全摘手術やアキレス腱骨棘などで動けなくなり、初めて時間が止まった。

情報過多になりがちな状況で、自分を見直す時間にもなっている。

独立していった仲間が14人。それ以外にも刺激をもらえるオーナーや知り合いが多数。全員、このコロナの時代をそれぞれの考えで生き抜いている様は武士というか、

それだけでカッコいいし、身震いするようなこと。

毎日がぞっとするような状況下が、容赦なく押し寄せてくるもんね。

それでも立っていられるのは本当に色んな人に支えられて生きているから。

実は5月30日という日は特別な日でした。

協同広告を退社し、1か月後の2004年5月30日。

多くの方が来てくれた僕に対しての大送別会でした。

そのことについて、以下にあるように、この16年で何度となく、このブログで書いていることです。

we are okei - okeiのコトバ~新橋okeiオーナーの話~

3年目 - okeiのコトバ~新橋okeiオーナーの話~

ほこり - okeiのコトバ~新橋okeiオーナーの話~

感謝の日 - okeiのコトバ~新橋okeiオーナーの話~

5/30 - okeiのコトバ~新橋okeiオーナーの話~

協同広告と神大とすべての仲間へ - okeiのコトバ~新橋okeiオーナーの話~

 この間にいろんなことがあり、人生は本当に終わらない映画みたいだなと。

改めて読んでみると、同じようなことをずっと思うわけで。

今も全く一緒。積み重なっているような気がします。

違うのは端々に、1つのお店だった時やまだ2つくらいだった時が多いので、

自分が必ず現場にいるということ。そのメッセージがあることが多い。

今もそのつもりなんだが、どうしてもそうはいかない。

でもそのおかげで大切な仲間と出会えた。スタッフは仲間。

駒じゃない。幾度となく人に助けられてきた自分。

先輩仲間と同様、いやそれ以上にスタッフたちだ。

そのスタッフがいたから、大切なお客様と出会えた。そしてそのお客様の中でも仲間といえる方とも出会えた。

プライベートでも会ってくれる常連さんもいるし。そうでなくてもお店によって話してくれる方々など全てがオケイがあったから、スタッフがいてくれるから出会えた宝。

僕のチカラなんてないようなものだ。

そういう意味で、当初の目的だったお店があれば僕の夢は叶っているという気持ちから少し変わったかな。人が増えていくと、彼らのポジションを与えたくなったりする。だって、同じポジションをずっとやるモチベーションキープは難しいし。

そうやってお店も増えて、大好きな人達が沢山増えていくという、幸せな店舗増加だったと思う。

送別会をしてくれた先輩方たちと出会えたのも、大きな会社だったから。

今でも毎日のように連絡を多くの方がくれる。奇跡的な会社だったと思う。

もちろん、個人から法人になったり、自分が自分の目標よりも大きな課題を増やしていくことでどうしても、ぶれたりしてきたことは多くあり、自分でコントロール出来てなかったことも多い。

未経験や未体験。わからないことを恐れずにトライする。

そういえば、かっこいいが、それは多くの壁がある。何もわからないことしかないから。今もその壁に囲まれている。自分で壁を作り壁を壊す作業をずっと続けている。

そんな時にふとこの送別会の時を今でも考えるんだよなー。

Surpriseだったから良くわからず会場に歩いていく自分。

徐々に会場が近くなるたびに鼓動が激しくなった。

あーいう喜びというか。人への感謝の伝え方というか。

まだまだ人を喜ばせたいなと思うんです。ハイ。

まだ出来ることが沢山あるはずだって思う。

そのためには、やっぱりワクワクすることをしたい。そのために独立したから。

面白そうなことを考えて、実行して失敗してもまた這い上がって。

コロナになり新橋がダメなら、縮小するけど、じゃー何やろうかなって考えてるし。

仲間がいるから、新しくまたやることもできるさ!ってね。

この5月30日って日がまた僕の心に火をつけてくれました。

あの時、何もない自分をすっごいパワーで送別してくれてありがとうございます。

それがあるから今がありますから。

違うことするのって楽しい。

緊急事態宣言が延長されましたね。

選手村ではお酒が飲めるとか、コンドーム使い放題とか。(←これは毎回ですね)

未曾有の事態なんだから、開催するにしても色々みんなで我慢しようよって思っちゃううけど。お国様もどうしようもできないんですね、たぶんオリンピック王様には。

とりあえず、ピッツェリアテルツォオケイだけ営業をして、他は休業ですね。

今さら、我慢できずに酒を出してしまう勇気もなく・・・。

スタッフの皆さんにはベストの判断が出来てないのか、どうか。

申し訳ないのかなーとか思いながら・・・。

ってその話はいいか。

休業中にピッツァの巨匠 大坪さんのお店 イルタンブレッロでオケイの黒井君が働いています。週に2回なんですが。

大坪さんから連絡が来て始まったこの企画なんですが、電話で話しながら黒井君に行ってもらおう!って思っていました。

そもそも黒井君が入社したのは8年ほど前。

29歳でした。何と誕生日が僕と一緒で。。。

面接をして、最初はごめんなさいをして、やっぱり採用だったけな。

その時はまだオケイは2店舗なるかならないかってところ。

ピッツァ窯もガス窯でした。彼はピッツァイオーロとして入社。

ちょい実力がまだまだだったから、苦労もしました。

それからキッチンとして長く勤めてくれて。ある時、フロア転向を提案しました。

プロ野球でもあるじゃないですか、ピッチャーからバッターとか。

サッカーの井原が実はFWだったとか。

キッチンで収まるよりも、外に出したいなって。

僕は料理をやらないけど、彼はやってきた。ちょっとした知識が違うから

僕とは違うけどいいサービスマンになるといいなって。

そこからokeiで出したお店はだいたいフォローしてくれています。

現在は月島961という自分の名前クロイが数字になったお店を任されている。

1名で切り盛りするお店で休業。

改めて外の世界というか。自分のルーツであるピッツァの巨匠のお店で働ける機会を与えられたことが良かったなー。彼にとっては気持ちの切り替えというか。幅というか。

そんなチャンスになっていると思っている。

金土だけの勤務だけど、新しい黒井になっていくのを楽しみにしていよう。

僕の会社では、今、今後どうしていくんだ!そんな話ばかり。

そりゃそうだ、僕が色んなことをやろうとしているから。

以前もどこかで書いたと思うのだが、再度書いておきたいこと。

8周年ぐらいから働きやすい環境づくりをトライしてきて、8年目。

長く勤務してくれる人、そもそも辞めるという選択肢がない人。

そんな環境を聞いてか、公募しなくても入社希望がいたりする。

長く勤めてくれることが目標というか、安心感が正義だと思ってきた。

違うわけではないが、その中にはやはりよどむというか、マンネリする人や時期がある。

新しいコトが必要になってくる。それはジョブローテーションだったり、新事業だったり。ただ、どうしても今を失いたくない、わからないことをやりたくない!そんな思いは全ての人が思っていること。

そこを楽しみに変えて行ける雰囲気や未来像を何とか提案し続けることが必要。

長く勤めていく以上、自分たちが成長するには、自分たちが未経験のことにチャレンジ、勉強していくほかない。

それがクラフトビール醸造だったり。エリア分散だったりする。

月島から始まり、日暮里、豪徳寺

新しい人との仕事も沢山ある。その刺激を楽しむ。

やっぱりなれたパートナーとやるほうが楽に進むが、それだけでは飛躍できない。

凡人な僕には頑張る環境が必要だし、その自分を応援してくれる人が不可欠。

こうして日々のことを書いていく自分。

それを見て、クラフトビール醸造士になる松山がnoteを書き始めた。

note.com

前からいろんな人に発信力をつけるように伝えているが、なかなか手につかない。

その中でまず足を踏み出したスタッフがいる。

さて、こういう動きがみんなの躍動感を生むといいなとニヤニヤしているオーナーでした。

フレンチブルドックを飼い始めて

実は昨年、12月から自分の家に犬を飼い始めました。

フレンチブルドック、かぼす(女子)です。

結婚して6年目になりますが、当初から犬の飼う話はありました。

理由は嫁が実家でずっと飼っていたからです。少し前に他界したのがフレブルでした。

ただし、僕は反対をしていて、迎え入れることはしませんでした。

理由は自分がほとんど家にいなかったり、休みは少ない。

それを犬により左右されてしまうことが、マイナスでしか感じなかったからです。

そして何よりも自分たちよりも早く死んでしまうこと、死を目の当たりにすることがどうしても耐えられないからです。

実際、幼年時に様々な動物他を飼育していました。

いぬ、猫、鶏、いもり、やもり、かめ、ウズラ、うさぎ、インコ、数えきれない。

庭や家の中にはたくさんの昆虫やどうぶつがいましたね。あ、クワガタとかは当たり前。その中でいろんなことを学びましたね、でも死んじゃう。

だから避けてきたんですね、実際。

で、ふと6年目になるなーなんて思っていた時に、何となく、嫁を見ていて。

迎え入れる気になったんです。いろんな理由はあるんだと思うけど何となくもあり。

コロナも影響していると思います。

話す時間が増えて、少しずつ対話していくことの中に彼女のキモチが分かってきたというか。それが動物を飼うということではなかったんだけど、結局その夢ってかなえてあげられるんじゃないかなーとか思いまして

そして、犬種はフレブルに最初から決まっていました。もともと嫁が飼っていたので。

しかし、高いわけです、これが。

お金の話で申し訳ないのですが、40万以上!

正直ココも飼う飼わない判断の中にありましてね。悩みに悩み、払しょくしました。

それは友人からの一言。

「犬を飼えば、10年以上共に過ごしてくれるし、愛情かければその何倍も自分たちを幸せにしてくれる。値段なんて小さいこと言わないでよ」

なるほど、確かに。飼う!って決めたんだったら、金額のことはあまり考え過ぎないようにしようと思った瞬間です、ただし、高すぎるのは困るけど。

実際、自分の家にあるモノをたくさん売りました、メルカリで。

コレクションも売りましたしね。お金の足しにもなったし、断捨離にもなりました。

結局、ブリーダーを見つけ、見に行ったのは本厚木。

生まれて2ヵ月しないと引き取れないので、少し待ち、12月に再度本厚木に行き、受け取りました。

それから自分の性格も生活も全てが音を立てて変わっていきましたね、マジで。

僕たちには子供がいません。二人で何かを育てたことはない。

毎日、何かが起こるし、トラブルも増える。心配で眠りも浅く。

そして、気づいたんです。

自分はこれまで動物をたくさん飼ってきて、詳しいと勘違いしていました。

でも全く違いました。

さいころに接してきた動物たちの世話をしてきたつもりですが、

実際には親がしていたんですね、たぶん、いや絶対100%。

だから詳しくは知らなかったんです。

何にもわからないやつのところに来ちゃったかぼすさん。

色んなことを教えてくれますね、本当に。。

一番の学びは喜びです。

帰ってきても、何しても、全身で喜びと感謝を示してくれる。

会いたかった、楽しい、ありがとう。

出会った当初からすぐにそれができる動物なのかな、犬は。

そしてお話ができないけど、話しかけると何とか言葉を聞こうと耳を傾ける。

理解しようとする気が100%。

子供はいないから全てはわからないけど、小さな子供も一緒なんじゃないかな。

毎日一緒に寝て、起きると隣であおむけになって寝ていたりします。

自分の生活範囲や行動が制御されてしまうと思った自分。

それは間違えていました。全く逆でした。

今まで考えもしなかったことを考えます。

犬が入れるお店が少ないとか、お散歩している人たちの気持ちとか。

犬がいると周りの知らない人と普通に話せたりするんだなーとか。

同じようにお子さんがいない方も沢山いるんだなーとか。

幸せかどうかなんて自分で決めればいいんだなーとか。

かぼすと暮らし始めて、少しずつ日記をインスタに書き始めました。

お店のことを書くために始めたりするんじゃなくて、ただただこのかぼすとの奮闘記を書いておこう!って思ったから、okeiとかは入れないでいましたけど。

少しずつ皆さんにも会ったりしてきたんで、一応ここにも載せておこうかな。

良ければ見てくださいませ。

Instagram : frebull_kabosu

 

おけい屋ハナレ酒店が1か月くらい経過して・・・

酒屋をスタートして1か月くらいです。

おけい屋ハナレ酒店という名前。4月20日に酒類販売免許が交付され、ワインショップとして小売りする資格を得た。

おけい屋のハナレを改装?して、酒屋に変えていった1か月。

実際には4月29日からスタートだったかな。

多くのお客様が応援してくれて、オープンして数日で沢山のワインを発送した。

イートインもなくなり、15年間当たり前だった飲食業スタイルは「悪」になり、多くのトライが必要な1年だったなー。

トライって簡単に言うけど、ほぼ闇雲。もちろんちゃんとした人はちゃんとしている。

僕なんかは迷ったり、言うこと変わったり、とんでもないこと言いだしたり。

結局、計算出来てないことばかりだからお恥ずかしい限りです。

でも自分たちなりにやってます・・・。

1か月間、やってみての感想。

やはり楽しい。何が楽しいかというとですね。飲食店って、どうしてもワインリスト50種類とか。その50本に絞るのに大変なんです。。。好きなワインが沢山あり。

ただし、ワインショップをやると、ちょっと気持ち大きくなってまして、色々取れちゃう。この生産者のワインが置けるなんて!そんな夢のようなワクワクを感じています。

そして、実際にはそういう話じゃないんだけど、表示価格自体が今までよりも安い。これは僕らの感覚としてですが。正直。superに置いてあるモノよりは高いものが多いです。1500円くらいから5000円くらいまでかな。

それは弱小酒屋だからしょうがない。飲食店の場合、原価に2000円とかプラスしたり、2.5倍にしたりという計算で価格付けをするわけです。

それがないから、自分たちとしてはこのワインがこの値段なんて!みたいな感じなんですね。今、店で飲めないのだから家で飲む。

家でこんなにおいしいワインが飲めるなんて幸せでしかない。

配達もしたいんです、自分で。だって、ご自宅じゃなくても駅でもね。

実際飲む方へ渡したいじゃないですか。発送じゃなくて。

なんかそんなことをしたいんですよね、楽しくて。考えるだけでワクワクする。

これからの夢も広がります。グラスとかグッズとかね、やっちゃいたい

ただし、やっぱりこれ、難しいなー事業ってって話です、これからは。

最初は買ってくれます。応援してくれる優しいお客様ばかりだから。

6本、12本単位で発送はすることが多いので、どうしてもすぐにまたご発注頂けるわけではない。そりゃそうですよね。。、そんなに飲めないですよね・・・。

だから、最初に買っていただいてからすぐにリピートは難しいわけです。

だから、実店舗で販売をしたいのですが、今は人がいない。。。毎日売れるのは数本です。。。。

せめてお味見だけでもしても良ければいいのですが、よくわからないので、今はしていません。どうしたらいいものか。

やはり、酒提供不可の酒屋って難しい。。。

でも配送の中身を充実はドンドンしています。

コメントや内容をより良くしていくしかないですからね。

事業の難しさってことですね、これはコロナ関係なく、そんなに甘くないのだ!

お酒以外のクッキーとかも、あるけど、まだまだ。

どうしても酒だけだと苦しいかなーと思いながら、そこから逃げたくない自分もいます。

そもそも、ワインショップをやりたいなーって思ったのが、碧が結婚したときかな。

本当はやはり飲食業って女性が結婚したり、お子さんが出来たりすると勤務しづらい業界じゃないですか。彼女が結婚して妊娠した時に、辞める話が出たんです。

その時に、話し合いながら結局「やめるな!」って話をして。

一緒に就職活動してもわかったんだけど。ソムリエでもチーズプロフェッショナルでもホテル経験者、秘書検定、英語が話せても、フルタイム働けない飲食店員はいらないんですよね。どうしても。

それなら、okeiで実例作っていこうぜって。で、色々あるだろうけど、経理も勉強してよ、社長業手伝ってよ、ランチだけやってよ。とかいろいろやらせまくって。

給与は自分で決めさせた。その分働くんだからねって。

控えめに土日休みの分を減らして始まり、昇給していってます。

で、実例を作っているわけで。その目的は、女性社員がオケイで働きたいのに女性だからって、女性の夢を叶えて応援したいのに、なぜか辞めなきゃいけない会社にならないため。

ワインショップとか小売りをしていって、そこには飲食で頑張ってくれたスタッフたちが天下りしていくスタイル。子供たちが来てもいいし、お互いの子どももお互いで見ればいい。そんなokeiスタイルが出来たらいいなって。

だからコロナになり、大変だけど、そこがどんどん進んで楽しいこともある。

そして重要なのが、料理や仕込をするんじゃなくて、我々が愛情深い生産者のワインをセレクトしていくスタイルがいいのです。

チーズやハムとか、仕込がないもので美味しいものをセレクトして。

自分たちが飲食培った知識や経験をもとにセレクトしたものであること重要なんです。

そうすれば、天下り先のワインショップとして成り立つんじゃないかと。

そこには角打ちがあったり(飲める”!)、試飲があったり。そういうコミュニケーションの場所は必要なんですけどね。

夢と希望が詰まったワインショップをこうして碧がやってくれていることが幸せですよ。子供も4歳超えたってことは、あの決断から5年以上かかって、ココまで来たってことか。20周年は、碧がセレクトしたワインで乾杯もできるかね!