okeiのコトバ~okeiオーナー片寄雄啓の話~

神奈川大学を卒業し、広告代理店で6年間勤務。ウルフルズ「ええねん」を聞いて、飲食店独立を決断し、退社。2年弱の修業を経て、2005年に29歳で新橋でokeiを開業。(現在、Pizzeria Terzo okei,Viva okei,酒場961,OKEI BREWERY,Atelier de terrine maison okei,filoの6店舗)飲食の事、カズやサザンのこと、人生の事。コトバノチカラを信じて日記に示したいと思います

ほっこりした手紙。

4月末に静かにokeiを退社した小さなアルバイト岩瀬さん。

半年ほどしかいなかったけど、心は共に出来たなーと思ってる。

コロナもきっかけで入社してきた彼女。

前のお店では人間関係で少し悩んでいたのが初めて会った面接。

それでもオケイで働きたい!と言ってくれたのが嬉しかった。

働きだすと、小柄で可愛くて、前向きな彼女は、すぐにスタッフとなじんでいったのを覚えている。

半年くらい全店舗をサポートする形で助けてくれたなー。

緊急事態宣言など色んなことが重なり、実家である大分に帰ることになった。

最後に彼女が行ってくれた言葉。

「本当にOKEIに来るのが楽しくて幸せでした。ここに出会えたこと、片寄さんと出会えたことが嬉しかったです。大分に一度帰りますが、東京に戻ることがあれば、またokeiで働きたいです」

コロナがキッカケで仕事がなくなったり、辞めたり、色んなことがある時代。

それは避けられないこともあるだろう。

ただ、また失った場所に帰ってきたいと思える場所でよかった。

それまでにokeiを続けていきたい!そう心に誓える言葉だった。

そして、心が伝わっていたんだなーと思ったこと。

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手紙

社員全員と僕の嫁への直筆テガミ。

感謝が全員へきれいな字で書かれていた。

手紙が大分から全員に届き、オレンジ色の空気がみんなに広がる。

人のコトバや文字は幸せを運んでくれる。

それがちょっとずつスタッフに伝わっていく様。

これは本当にうれしいんです。

音を立てて変わっていくようなことじゃないから。

時間が16年かかり、入ったばかりのアルバイトの子で

分け合ってすぐ辞めてしまった子にも伝わっているキモチ。

たまりません。

決して派手な話じゃないんですけど、続けていくことを選んだ言葉を書くということ。

それがこうして跳ね返ってきたときにやっとわかることもある。

コトバノチカラというものが自分を強くしてきたし、支えてきてくれた。

思い出せばグッとくることばかりだ。

不安はある。言葉を伝えると必ず誤解もあるし、間違いもある。

間違いというのは僕の間違い。

スタッフに誤解を生むようなことを伝えた場合は、一気におかしくなってしまう。

ただ、何も伝えなければ余計おかしくなる。

13名ほどになるかな、社員それぞれに伝えていくということだけでも緊張感がある。

今、緊急事態宣言とか、これからとか。

判断が難しくて迷うことばかり。正直完璧な判断が出来ていないのが現状。

スタッフもモヤモヤしていることもあるだろうが、なかなか厳しい状況がわかってくれているのだろう。

そんな自分でも消化不良な中、届いた岩瀬からの手紙。

アリガトウってキモチと、助かった!というか、心が温かくなる瞬間。

本当にありがとう。

 

大送別会の日でした。

事業のことだけじゃなく、人と人のこととか。いろいろ悩みますよね。

胆のう全摘手術やアキレス腱骨棘などで動けなくなり、初めて時間が止まった。

情報過多になりがちな状況で、自分を見直す時間にもなっている。

独立していった仲間が14人。それ以外にも刺激をもらえるオーナーや知り合いが多数。全員、このコロナの時代をそれぞれの考えで生き抜いている様は武士というか、

それだけでカッコいいし、身震いするようなこと。

毎日がぞっとするような状況下が、容赦なく押し寄せてくるもんね。

それでも立っていられるのは本当に色んな人に支えられて生きているから。

実は5月30日という日は特別な日でした。

協同広告を退社し、1か月後の2004年5月30日。

多くの方が来てくれた僕に対しての大送別会でした。

そのことについて、以下にあるように、この16年で何度となく、このブログで書いていることです。

we are okei - okeiのコトバ~新橋okeiオーナーの話~

3年目 - okeiのコトバ~新橋okeiオーナーの話~

ほこり - okeiのコトバ~新橋okeiオーナーの話~

感謝の日 - okeiのコトバ~新橋okeiオーナーの話~

5/30 - okeiのコトバ~新橋okeiオーナーの話~

協同広告と神大とすべての仲間へ - okeiのコトバ~新橋okeiオーナーの話~

 この間にいろんなことがあり、人生は本当に終わらない映画みたいだなと。

改めて読んでみると、同じようなことをずっと思うわけで。

今も全く一緒。積み重なっているような気がします。

違うのは端々に、1つのお店だった時やまだ2つくらいだった時が多いので、

自分が必ず現場にいるということ。そのメッセージがあることが多い。

今もそのつもりなんだが、どうしてもそうはいかない。

でもそのおかげで大切な仲間と出会えた。スタッフは仲間。

駒じゃない。幾度となく人に助けられてきた自分。

先輩仲間と同様、いやそれ以上にスタッフたちだ。

そのスタッフがいたから、大切なお客様と出会えた。そしてそのお客様の中でも仲間といえる方とも出会えた。

プライベートでも会ってくれる常連さんもいるし。そうでなくてもお店によって話してくれる方々など全てがオケイがあったから、スタッフがいてくれるから出会えた宝。

僕のチカラなんてないようなものだ。

そういう意味で、当初の目的だったお店があれば僕の夢は叶っているという気持ちから少し変わったかな。人が増えていくと、彼らのポジションを与えたくなったりする。だって、同じポジションをずっとやるモチベーションキープは難しいし。

そうやってお店も増えて、大好きな人達が沢山増えていくという、幸せな店舗増加だったと思う。

送別会をしてくれた先輩方たちと出会えたのも、大きな会社だったから。

今でも毎日のように連絡を多くの方がくれる。奇跡的な会社だったと思う。

もちろん、個人から法人になったり、自分が自分の目標よりも大きな課題を増やしていくことでどうしても、ぶれたりしてきたことは多くあり、自分でコントロール出来てなかったことも多い。

未経験や未体験。わからないことを恐れずにトライする。

そういえば、かっこいいが、それは多くの壁がある。何もわからないことしかないから。今もその壁に囲まれている。自分で壁を作り壁を壊す作業をずっと続けている。

そんな時にふとこの送別会の時を今でも考えるんだよなー。

Surpriseだったから良くわからず会場に歩いていく自分。

徐々に会場が近くなるたびに鼓動が激しくなった。

あーいう喜びというか。人への感謝の伝え方というか。

まだまだ人を喜ばせたいなと思うんです。ハイ。

まだ出来ることが沢山あるはずだって思う。

そのためには、やっぱりワクワクすることをしたい。そのために独立したから。

面白そうなことを考えて、実行して失敗してもまた這い上がって。

コロナになり新橋がダメなら、縮小するけど、じゃー何やろうかなって考えてるし。

仲間がいるから、新しくまたやることもできるさ!ってね。

この5月30日って日がまた僕の心に火をつけてくれました。

あの時、何もない自分をすっごいパワーで送別してくれてありがとうございます。

それがあるから今がありますから。

違うことするのって楽しい。

緊急事態宣言が延長されましたね。

選手村ではお酒が飲めるとか、コンドーム使い放題とか。(←これは毎回ですね)

未曾有の事態なんだから、開催するにしても色々みんなで我慢しようよって思っちゃううけど。お国様もどうしようもできないんですね、たぶんオリンピック王様には。

とりあえず、ピッツェリアテルツォオケイだけ営業をして、他は休業ですね。

今さら、我慢できずに酒を出してしまう勇気もなく・・・。

スタッフの皆さんにはベストの判断が出来てないのか、どうか。

申し訳ないのかなーとか思いながら・・・。

ってその話はいいか。

休業中にピッツァの巨匠 大坪さんのお店 イルタンブレッロでオケイの黒井君が働いています。週に2回なんですが。

大坪さんから連絡が来て始まったこの企画なんですが、電話で話しながら黒井君に行ってもらおう!って思っていました。

そもそも黒井君が入社したのは8年ほど前。

29歳でした。何と誕生日が僕と一緒で。。。

面接をして、最初はごめんなさいをして、やっぱり採用だったけな。

その時はまだオケイは2店舗なるかならないかってところ。

ピッツァ窯もガス窯でした。彼はピッツァイオーロとして入社。

ちょい実力がまだまだだったから、苦労もしました。

それからキッチンとして長く勤めてくれて。ある時、フロア転向を提案しました。

プロ野球でもあるじゃないですか、ピッチャーからバッターとか。

サッカーの井原が実はFWだったとか。

キッチンで収まるよりも、外に出したいなって。

僕は料理をやらないけど、彼はやってきた。ちょっとした知識が違うから

僕とは違うけどいいサービスマンになるといいなって。

そこからokeiで出したお店はだいたいフォローしてくれています。

現在は月島961という自分の名前クロイが数字になったお店を任されている。

1名で切り盛りするお店で休業。

改めて外の世界というか。自分のルーツであるピッツァの巨匠のお店で働ける機会を与えられたことが良かったなー。彼にとっては気持ちの切り替えというか。幅というか。

そんなチャンスになっていると思っている。

金土だけの勤務だけど、新しい黒井になっていくのを楽しみにしていよう。

僕の会社では、今、今後どうしていくんだ!そんな話ばかり。

そりゃそうだ、僕が色んなことをやろうとしているから。

以前もどこかで書いたと思うのだが、再度書いておきたいこと。

8周年ぐらいから働きやすい環境づくりをトライしてきて、8年目。

長く勤務してくれる人、そもそも辞めるという選択肢がない人。

そんな環境を聞いてか、公募しなくても入社希望がいたりする。

長く勤めてくれることが目標というか、安心感が正義だと思ってきた。

違うわけではないが、その中にはやはりよどむというか、マンネリする人や時期がある。

新しいコトが必要になってくる。それはジョブローテーションだったり、新事業だったり。ただ、どうしても今を失いたくない、わからないことをやりたくない!そんな思いは全ての人が思っていること。

そこを楽しみに変えて行ける雰囲気や未来像を何とか提案し続けることが必要。

長く勤めていく以上、自分たちが成長するには、自分たちが未経験のことにチャレンジ、勉強していくほかない。

それがクラフトビール醸造だったり。エリア分散だったりする。

月島から始まり、日暮里、豪徳寺

新しい人との仕事も沢山ある。その刺激を楽しむ。

やっぱりなれたパートナーとやるほうが楽に進むが、それだけでは飛躍できない。

凡人な僕には頑張る環境が必要だし、その自分を応援してくれる人が不可欠。

こうして日々のことを書いていく自分。

それを見て、クラフトビール醸造士になる松山がnoteを書き始めた。

note.com

前からいろんな人に発信力をつけるように伝えているが、なかなか手につかない。

その中でまず足を踏み出したスタッフがいる。

さて、こういう動きがみんなの躍動感を生むといいなとニヤニヤしているオーナーでした。

フレンチブルドックを飼い始めて

実は昨年、12月から自分の家に犬を飼い始めました。

フレンチブルドック、かぼす(女子)です。

結婚して6年目になりますが、当初から犬の飼う話はありました。

理由は嫁が実家でずっと飼っていたからです。少し前に他界したのがフレブルでした。

ただし、僕は反対をしていて、迎え入れることはしませんでした。

理由は自分がほとんど家にいなかったり、休みは少ない。

それを犬により左右されてしまうことが、マイナスでしか感じなかったからです。

そして何よりも自分たちよりも早く死んでしまうこと、死を目の当たりにすることがどうしても耐えられないからです。

実際、幼年時に様々な動物他を飼育していました。

いぬ、猫、鶏、いもり、やもり、かめ、ウズラ、うさぎ、インコ、数えきれない。

庭や家の中にはたくさんの昆虫やどうぶつがいましたね。あ、クワガタとかは当たり前。その中でいろんなことを学びましたね、でも死んじゃう。

だから避けてきたんですね、実際。

で、ふと6年目になるなーなんて思っていた時に、何となく、嫁を見ていて。

迎え入れる気になったんです。いろんな理由はあるんだと思うけど何となくもあり。

コロナも影響していると思います。

話す時間が増えて、少しずつ対話していくことの中に彼女のキモチが分かってきたというか。それが動物を飼うということではなかったんだけど、結局その夢ってかなえてあげられるんじゃないかなーとか思いまして

そして、犬種はフレブルに最初から決まっていました。もともと嫁が飼っていたので。

しかし、高いわけです、これが。

お金の話で申し訳ないのですが、40万以上!

正直ココも飼う飼わない判断の中にありましてね。悩みに悩み、払しょくしました。

それは友人からの一言。

「犬を飼えば、10年以上共に過ごしてくれるし、愛情かければその何倍も自分たちを幸せにしてくれる。値段なんて小さいこと言わないでよ」

なるほど、確かに。飼う!って決めたんだったら、金額のことはあまり考え過ぎないようにしようと思った瞬間です、ただし、高すぎるのは困るけど。

実際、自分の家にあるモノをたくさん売りました、メルカリで。

コレクションも売りましたしね。お金の足しにもなったし、断捨離にもなりました。

結局、ブリーダーを見つけ、見に行ったのは本厚木。

生まれて2ヵ月しないと引き取れないので、少し待ち、12月に再度本厚木に行き、受け取りました。

それから自分の性格も生活も全てが音を立てて変わっていきましたね、マジで。

僕たちには子供がいません。二人で何かを育てたことはない。

毎日、何かが起こるし、トラブルも増える。心配で眠りも浅く。

そして、気づいたんです。

自分はこれまで動物をたくさん飼ってきて、詳しいと勘違いしていました。

でも全く違いました。

さいころに接してきた動物たちの世話をしてきたつもりですが、

実際には親がしていたんですね、たぶん、いや絶対100%。

だから詳しくは知らなかったんです。

何にもわからないやつのところに来ちゃったかぼすさん。

色んなことを教えてくれますね、本当に。。

一番の学びは喜びです。

帰ってきても、何しても、全身で喜びと感謝を示してくれる。

会いたかった、楽しい、ありがとう。

出会った当初からすぐにそれができる動物なのかな、犬は。

そしてお話ができないけど、話しかけると何とか言葉を聞こうと耳を傾ける。

理解しようとする気が100%。

子供はいないから全てはわからないけど、小さな子供も一緒なんじゃないかな。

毎日一緒に寝て、起きると隣であおむけになって寝ていたりします。

自分の生活範囲や行動が制御されてしまうと思った自分。

それは間違えていました。全く逆でした。

今まで考えもしなかったことを考えます。

犬が入れるお店が少ないとか、お散歩している人たちの気持ちとか。

犬がいると周りの知らない人と普通に話せたりするんだなーとか。

同じようにお子さんがいない方も沢山いるんだなーとか。

幸せかどうかなんて自分で決めればいいんだなーとか。

かぼすと暮らし始めて、少しずつ日記をインスタに書き始めました。

お店のことを書くために始めたりするんじゃなくて、ただただこのかぼすとの奮闘記を書いておこう!って思ったから、okeiとかは入れないでいましたけど。

少しずつ皆さんにも会ったりしてきたんで、一応ここにも載せておこうかな。

良ければ見てくださいませ。

Instagram : frebull_kabosu

 

おけい屋ハナレ酒店が1か月くらい経過して・・・

酒屋をスタートして1か月くらいです。

おけい屋ハナレ酒店という名前。4月20日に酒類販売免許が交付され、ワインショップとして小売りする資格を得た。

おけい屋のハナレを改装?して、酒屋に変えていった1か月。

実際には4月29日からスタートだったかな。

多くのお客様が応援してくれて、オープンして数日で沢山のワインを発送した。

イートインもなくなり、15年間当たり前だった飲食業スタイルは「悪」になり、多くのトライが必要な1年だったなー。

トライって簡単に言うけど、ほぼ闇雲。もちろんちゃんとした人はちゃんとしている。

僕なんかは迷ったり、言うこと変わったり、とんでもないこと言いだしたり。

結局、計算出来てないことばかりだからお恥ずかしい限りです。

でも自分たちなりにやってます・・・。

1か月間、やってみての感想。

やはり楽しい。何が楽しいかというとですね。飲食店って、どうしてもワインリスト50種類とか。その50本に絞るのに大変なんです。。。好きなワインが沢山あり。

ただし、ワインショップをやると、ちょっと気持ち大きくなってまして、色々取れちゃう。この生産者のワインが置けるなんて!そんな夢のようなワクワクを感じています。

そして、実際にはそういう話じゃないんだけど、表示価格自体が今までよりも安い。これは僕らの感覚としてですが。正直。superに置いてあるモノよりは高いものが多いです。1500円くらいから5000円くらいまでかな。

それは弱小酒屋だからしょうがない。飲食店の場合、原価に2000円とかプラスしたり、2.5倍にしたりという計算で価格付けをするわけです。

それがないから、自分たちとしてはこのワインがこの値段なんて!みたいな感じなんですね。今、店で飲めないのだから家で飲む。

家でこんなにおいしいワインが飲めるなんて幸せでしかない。

配達もしたいんです、自分で。だって、ご自宅じゃなくても駅でもね。

実際飲む方へ渡したいじゃないですか。発送じゃなくて。

なんかそんなことをしたいんですよね、楽しくて。考えるだけでワクワクする。

これからの夢も広がります。グラスとかグッズとかね、やっちゃいたい

ただし、やっぱりこれ、難しいなー事業ってって話です、これからは。

最初は買ってくれます。応援してくれる優しいお客様ばかりだから。

6本、12本単位で発送はすることが多いので、どうしてもすぐにまたご発注頂けるわけではない。そりゃそうですよね。。、そんなに飲めないですよね・・・。

だから、最初に買っていただいてからすぐにリピートは難しいわけです。

だから、実店舗で販売をしたいのですが、今は人がいない。。。毎日売れるのは数本です。。。。

せめてお味見だけでもしても良ければいいのですが、よくわからないので、今はしていません。どうしたらいいものか。

やはり、酒提供不可の酒屋って難しい。。。

でも配送の中身を充実はドンドンしています。

コメントや内容をより良くしていくしかないですからね。

事業の難しさってことですね、これはコロナ関係なく、そんなに甘くないのだ!

お酒以外のクッキーとかも、あるけど、まだまだ。

どうしても酒だけだと苦しいかなーと思いながら、そこから逃げたくない自分もいます。

そもそも、ワインショップをやりたいなーって思ったのが、碧が結婚したときかな。

本当はやはり飲食業って女性が結婚したり、お子さんが出来たりすると勤務しづらい業界じゃないですか。彼女が結婚して妊娠した時に、辞める話が出たんです。

その時に、話し合いながら結局「やめるな!」って話をして。

一緒に就職活動してもわかったんだけど。ソムリエでもチーズプロフェッショナルでもホテル経験者、秘書検定、英語が話せても、フルタイム働けない飲食店員はいらないんですよね。どうしても。

それなら、okeiで実例作っていこうぜって。で、色々あるだろうけど、経理も勉強してよ、社長業手伝ってよ、ランチだけやってよ。とかいろいろやらせまくって。

給与は自分で決めさせた。その分働くんだからねって。

控えめに土日休みの分を減らして始まり、昇給していってます。

で、実例を作っているわけで。その目的は、女性社員がオケイで働きたいのに女性だからって、女性の夢を叶えて応援したいのに、なぜか辞めなきゃいけない会社にならないため。

ワインショップとか小売りをしていって、そこには飲食で頑張ってくれたスタッフたちが天下りしていくスタイル。子供たちが来てもいいし、お互いの子どももお互いで見ればいい。そんなokeiスタイルが出来たらいいなって。

だからコロナになり、大変だけど、そこがどんどん進んで楽しいこともある。

そして重要なのが、料理や仕込をするんじゃなくて、我々が愛情深い生産者のワインをセレクトしていくスタイルがいいのです。

チーズやハムとか、仕込がないもので美味しいものをセレクトして。

自分たちが飲食培った知識や経験をもとにセレクトしたものであること重要なんです。

そうすれば、天下り先のワインショップとして成り立つんじゃないかと。

そこには角打ちがあったり(飲める”!)、試飲があったり。そういうコミュニケーションの場所は必要なんですけどね。

夢と希望が詰まったワインショップをこうして碧がやってくれていることが幸せですよ。子供も4歳超えたってことは、あの決断から5年以上かかって、ココまで来たってことか。20周年は、碧がセレクトしたワインで乾杯もできるかね!

松山との約束

久々にシャバに出て打ち合わせ。

クラフトビール工場について。施工担当、ボイラー、チラーなど、各スペシャリストのキックオフミーティング。
まるでTVCM制作の時のようだ。クライアント、プロデューサー、コピーライター、照明など。その制作に関わる多くの人たちが、自己紹介やスケジュール確認。演出含め、かなり詳細を話し合う2時間ほど制作会社などでやっていたような気がする。

当時、僕は下っ端だし、ただいるだけの人だったかもしれない。

でもそこにいるだけで、大きな仕事に関わっていることがとても嬉しかったような気がする。制作費として3千万~4千万、CM放映料で1億~3億とかが1か月でなくなっていた。タレント契約でも4000万。売り上げ伝票を書いても、正直数字を並べているだけで感覚がなかったように感じる。

そして今。僕はお店を作るのに1000万から3000万円をかける打ち合わせを何度もしてきた。9回かな、数十万単位の打ち合わせは数えきれない中心にいる。

今日は、その中で一番のお金が動くクラフトビール工場のキックオフミーティング。

胆のう摘出、アキレス腱炎?、2週間ぶりに家を出て打ち合わせに向かう。

本来は、任せる気でいたんだけど、このキックオフが意外と重要だと思った。

ふと20年前の東北新社葵プロモーション、仲畑など制作事務所で行われたミーティングを思い出したからだ。多くのスタッフを前に、誰がその場の空気を作るのか。

プロデューサーであり、ディレクターだったりする。

求めるのはクライアントの意向であり、クリエイター達の想い。

今の場合、僕と松山がクライアントになる。

どんな人がこのプロジェクトリーダーなのか。当事者なのかでスタッフの意気込みって変わるのだ。だから松山の気持ちも引き出したかったし、空気を作りたかった。

一緒にやりたい人達かどうか、それを面接されているのは、実は発注者である自分たちであることが分かっていない人が世の中多い。

お金を払っている方が全部やってもらえると勘違いしている人が多いから。

この人たちの夢や希望を叶えたい。

それがあるかないかで、全てが変わっていく。

会社も仲間もそうだろう。全てが金勘定では動けないのが人間だから。

僕が今日、久しぶりにシャバに出た理由。

それは空気を作りたかっただけ。

夢のような話がススムのを端っこで見ていて楽しかった。

松山が中心となり、工事費だけでも5000万、それ以降かかるお金は未知数笑

僕にはその金は借りた金しかない。

大勝負です。でもそれが楽しい。

信頼している仲間とともに交わした約束は一つ。

20周年、松山が作ったビールで乾杯しようぜ。

どうしてもあと5年。

クラフトビール工場をやる理由はそこだけだ。

自分たちの作ったビールで20周年の乾杯をすること。

その美味さったら、考えもしないほどだろうな。

ニヤニヤが止まらないぜ。

建築デザイナーについて

まだアキレス腱が全然痛くて動くことが困難だったので、昨日はどうしても詰めておきたい事業打ち合わせを無理言って2件、自宅で行いました。

一つはクラフトビール工場の話、2つ目は豪徳寺のテリーヌ専門店の話。

クラフトビール工場については、ロゴやこれからのスケジュールについての確認。

これからまずは醸造免許申請をしていくことかな、まだまだやること山積みですが、松山と一緒に一つ一つ階段を上っていきます!

初めて工場を作ろうとしている、まして初めての場所。こんなにもチャレンジ出来る毛の生えた心臓、持っていたかな、、、馬鹿になっちゃったみたいだけど、怖くてもそれを具現化しよーとともにトライする仲間がいてありがたい。こちらの建築デザインはイサム。大学の同級生であり、僕の店の大体が彼。独立店舗も沢山イサムがやってくれてる。あ,うんもあるし、数を重ねてるだけではなく、自分とは18歳からの付き合い。年月も重ね合い,安心して楽しく店をともに作ってきた同志。外部とは言え,スタッフ同様にokeiに関わってくれてきたので、新しすぎることもこうしてトライ出来る背景には彼がいたからかもしれない。

もう一つのテリーヌ専門店について整理しておこうかなーと。

まず、店名が決まりました。

Atelier de Terrine maison okei
(アトリエ ド テリーヌ メゾン オケイ)

アトリエは工房みたいな意味合い。

maison以下は一応入れてみたーけど、気持ちはアトリエ。

店舗デザインは宮坂さんというデザイナー。友達だけどがっつりは初めて。彼女とやるのが決まり,進めている過程で石丸シェフが出してきた店名だ。

いやー楽しい。とてもいい感じで話ができています。

新しい人とやることは刺激的だし、緊張感もある。

お金の話も進めなきゃいけない。友人と仕事をすることはよくないこともある。

言いにくかったり、なれ合いになったり。

そういう意味でもそこもあまりない。たぶん、良いものを作ろうというシンプルな考え方がしっかりしている人だと思う。

だから、空間デザインを大枠で見てくれていて、そこで細かいところまで考えてくれる。初めて仕事していると思えない、理解度というか、把握能力というか。

褒めちぎりたいわけでもないが、今ワクワクしている一つなので書いておきたかった。

もちろんまだまだ詰めの作業もあるし、これから出来上がるモノ。楽しみ。

コロナで悪い事ばかりって思うけど、もちろんほとんど悪いことだけど。

宮坂と仕事をする可能性は少なかったと思うが、コロナで色々なことがまわりまわりそうなっていることは、コロナでよかったことの一つ。

女性男性という観点の違いやスタイル。

デザイナーという職業とよく仕事をしてきた自分として、やりやすい人だけが良いわけではなく,やはり結果というか、プロセス含めての結果。そこを感じる人が良いのだ。

そういう意味で良いプロセスが今あることはありがたいことだ。

10年後、コロナで生まれた豪徳寺の店が輝いていることを夢見て、ワクワクドキドキしながら、作り上げていきたいと思う。

オープンは7月中を目指している。